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「エモい」というメタファーの乱用


最近「エモい」っていう言葉がよく使われるようになりましたよね。

僕もふと「エモっ!」みたいな感じで使うんですが、昨日実家の近くの河川敷を歩いている時に、「あ、エモいわ、これ」みたいな瞬間が訪れて、「エモい」って何だろうって10分ぐらい考えてみたので、書き殴ります。


まず「エモい」の定義は以下です。


エモいは、英語の「emotional」を由来とした、「感情が動かされた状態」、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」などを意味する日本語の形容詞。感情が揺さぶられたときや、気持ちをストレートに表現できないとき、「うまく説明できないけど、良い」ときなどに用いられる。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%A2%E3%81%84


そう、そもそもこの言葉自体が言語化が難しい状態の時に使われるので、「エモいって何?」っていう質問に答えるのが結構難しいんですよね。

で、僕が昨日感じた「エモい」は、要素としては以下の3点で、

・夕日が落ちていく河川敷を歩いていて
・柴犬とお爺さんが仲良さように一緒に歩いていて
・小さい頃この場所で行ったことが思い出された


この上の2つは重要度は低い、つまり、「まああったらエモくはなるけど、なくてもエモくはある」みたいに感じていて、

最後の自分の過去を思い出すっていうアクションが「エモさ」のコアだなと思ったとです。


で、この僕の感覚から「エモい」について再度考えてみると、

「個人における過去から現在における時間軸を超えての重なりが発生した瞬間」がエモさのトリガーな気がして、「エモさを醸し出すこと」に関しては、もはやそれだけで十分なのではって思います。

最近「エモいサービス」が流行ってて、個人的に「エモいかな?」みたいな感覚がずっとあったのですが、このエモいの感覚自体も主観で、みんなが言うエモいも主観です。

ただ、「エモい」がバズワードになる何100年前から「エモい」という感覚が人間自体に備わっていたとは思うので(百人一首とかエモさの塊)、エモさは重要な要素なんだろうなって思いました!

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