あらゆることが民主化され、小さな経済圏は勃興する
なめらかなお金がめぐる社会。あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。
数ヶ月前に評判になったこの書籍。
発売してすぐに読んでみて、CAMPFIREというチームが目指す世界観、家入さんという個人が考えていることにビジビジと共感したフレーズが多かった覚えがある。
今になってふと、思い出したようにまた読みたくなった。そうしたら、前はピンとこなかった言葉や文脈に心踊らさせて、こうやって文章をしたためる羽目になった。
この文章は大きな経済圏に対して、小さな経済圏の存在価値の重要性が高まってきていることを指摘している(決して二元論の話ではない)。
小さな経済圏とは今に発生した事象ではなく、旧くから存在していたが、それほど重要性が認識されていなかった事象である、と家入さんが本の中で述べている。
なぜ今になって注目を集めているかは現代を生きている人なら、肌感で感じられるでしょう。もしかすると、20代、もしくはそれ以下の人の方が強く感じられる事象であるかもしれない。
戦後の高度成長期を支えたのは商業主義の共同幻想であった。
高い教育水準を背景に金の卵と呼ばれた良質で安い労働力、第二次世界大戦前より軍需生産のために官民一体となり発達した技術力、余剰農業労働力や炭鉱離職者の活用、高い貯蓄率(投資の源泉)、輸出に有利な円安相場(固定相場制1ドル=360円)、消費意欲の拡大、安価な石油、安定した投資資金を融通する間接金融の護送船団方式、管理されたケインズ経済政策としての所得倍増計画、政府の設備投資促進策による工業用地などの造成が挙げられる。
経済の拡大、商業の拡大が豊かさを感じられる行為であり、幸せの尺度に直結していた。
そのメッキが徐々に剥がれていったのは、この世代が生まれた瞬間から、資本主義、商業主義の拡大によって築き上げられた世界を生きてきたからである。
僕らは無意識のうちに満たされていて、当たり前の水準も明らかに過去のどの時代とも違った。時代の流れは停滞するばかりか、指数関数的にギアを上げていっている。もはやこれだけ情報のオープン化が進んできた時代でも、予想ができないことが日々眼前で繰り広げられている。
大きいことを否定する訳でもないが、あらゆる場面で小回りの効くスタイルがあってもいいのではないか、という考えが生まれつつある。
生き方、働き方、暮らし方、結婚観、様々な場面で選択を迫られる時々に窮屈さを感じてしまう人もいる。だったら、働く場所にしても、個人の生きるコミュニティーにしても、同じ価値観を持った人間で、集まれる場所があってもいいじゃないか。
そして、実際にオフラインで集まれなくても、この地球上で、同じ松明に火を灯したい人間がいたら、繋げてあげたい。
「お金がないから」「目標がないから」「才能がないから」「仲間がいないから」といった言い訳をこの世から無くしたい。
そんな小さな経済圏が作り出す世界への想いが、本の中には書かれていました。
僕は、本の第1章で書かれている、「いい社会って何だろう?」という問いに対しての家入さんの答えが素直にすっと入ってきた。
「各自が自由に、自分の幸せを追求できる社会」
まだまだこの本の中には、これからの小さな経済圏についての考察や実際にCAMPFIREがの小さな経済圏への事例が散りばめられている。
今この瞬間にも世界中のどこかで、誰かが「挑戦」という名の灯火を上げている。
僕は家入さんとも面識はないし、個人的に尊敬する人の1人ではあるが、この本はこの生きづらい世の中を変えて、よりフラットに個人がやりがいを持って生きていくためのヒントが散りばめられているので、個人的に超オススメします。