どうして学校って行かないといけないの?(1)
皆さんこんにちは。小学校5年生と幼稚園年長さんのパパです。月に1回はこのnoteに何かを書こうと思ってムリして頑張ってます。
さて、ウチのように子供がきょうだいでいると、下の子は上の子のマネをしたがりますよね。下の子は、「早く小学校に行きたい!」などと、僕の知らない言語を話すので、「ワタシ、アナタのいうことワカリマセーン」と答えておけば良いのですが、上の子は違います。
「どうして学校って行かないといけないの?」
これ、僕にとってはかなり難しい質問です。インテルのCPUの歴史とかだったら何時間でも喋ってあげるのですが。あ、ただのマニアです。あ、あとマイクロソフトのOSの変遷とか。どうでもいいか。
ま、幸いにして、まだ、この質問を子供からされたことはありません。
で、なぜ聞いて欲しくないかと言うと、全く、答えに自信がないからです。というか、自己矛盾、ひいては自己否定にもつながる内容なんじゃないかと思って怖いんです。
「どうして学校に行くのか」とGoogle先生に聞くと8,700万の検索結果が出てきます。わお。で、やっぱりたくさんの方々がいろいろな意見を書いておられるんですね。ポジティブな記事を見たりすると、ひゃあ、すごいなって本当に尊敬します。
そこで、皆さんにちょっと本気(マジ)で質問です。
今現在、大人の皆サマは、小学校行くの、好きでした? 僕は、正直、微妙です。途中で一度転校したんですが、どっちの学校にもいろいろと行きたくない理由はあっても、楽しくルンルンと登校した記憶がないんですね。
小学校では、クラスに知的障害の子がいたりすると、その子は必ずからかわれてました。まったく普通の子に対するイジメもありました。そしてそれを見て見ぬフリをする生徒がいっぱいいました。僕もその一人です。今の教育では、イジメを傍観する子も加害者同然と言われます。だから僕も加害者だったことになります。
小さい頃からときどき小児喘息があったのに、発作があっても休ませてもらえず、苦しいのに歯を食いしばって登校して、体育もやりました。あまりに苦しくて、連絡帳に自分で「今日の水泳を休ませます」と書いたら速攻バレて、先生から引っ叩かれました。それから、宿題をするのも嫌でした。今でもたまに絵の宿題を提出できずに小学校を卒業させてもらえないという変な夢を見ることがあります。多分、当時そうとうなストレスを感じていたのだと思います。
学校で、持ち物を忘れたら、先生が生徒の両方のほっぺたを同時につねる「ダメだよーん」と言うお仕置きを受けました。宿題を忘れたら「廊下に立ってろ!」と怒鳴られて1時間、ずっと静かな廊下でうつむいて立っていたこともあります。友達にからかわれ泣いている時に先生にも反抗したら、マジのビンタをくらいました。
授業中は、全員静かにして、先生の話をよく聞き、黒板をノートに写すものと決まっていました。質問がある時は手をあげます。で、そんなことができない僕は、とりあえず聞いてるフリだけして板書してました。先生の言っている言葉をリアルタイムでなんて聞いて理解していません。それでも「モンスーンの影響」とか変な単語が耳に入ってくると、そういう変な言葉は覚えるので、なぜかテストの点は良かった記憶があります。
授業中、本当は何をしていたか。親が音楽家だったこともあるのでしょうが、頭の中にはいつも必ず何かの音楽が流れてました。その音楽を頭の中で聞いていたり、あとは空想(SFのヒーローとか)にふけっていました。そんな中で「モンスーン」だけ耳に入ってきて、点が取れてた、みたいな感じです。
小学校、僕は楽しくなかったんです。いや、小学校も、か。
中学では「不良」という人たちがいました。なおさら人間関係が複雑になります。ある時、休み時間を超えた事に気づかずスーパーカーの消しゴムで遊んでいたら、先生にそれを没収されました。怒られることが怖いことであると唐突に理解しました。そしたら、僕はなぜか途端に優等生になりました。
先生の言うことを聞いて、授業を聞いてるフリしていると、先生から「あいつはマジメに授業を受けている」と言う評価をされるようになりました。空想が好きでSFにハマっていたので、本を読むことに慣れていたら、作文が他の生徒よりできるようだったみたいで、朝礼で表彰されたりしました。
いや、もう思い出すのも嫌になってきました。
でも、そんなもんじゃなかったですか? 学校なんて。
まだ新型コロナが流行する前、ウチの子どもの小学校では特定の日に「学校公開」と言うのがあって、親が自由に時間中に学校に行って授業の様子を見ることができるんですね(現在は時間制限あり)。それで、当時イクメンにならなければと一所懸命だった僕は、見学に行きました。これ、多分昔は「授業参観」と言われていた特別な日ですよね。
「明日は授業参観だから、みんな先生の言うことを聞いてきちんとするように」って前日に言われませんでしたか? 笑
それっていつもと同じことをするな、と言う意味でしたよね? でも、今の学校公開は違います。恐らくですが、ほぼ、完全に「いつものまま」です。
で、それはどんな状況か。それは、僕の想像の斜め上を行ってました。
完全に学級崩壊です。
先生はしゃべり、生徒も勝手にしゃべってます。そのしゃべりで、一応先生とのキャッチボールができている子が3割、無反応が4割、残り3割は全然勝手なことを喋ったり、歩いたり、隣のクラスに行ったり、友達にちょっかい出したり。
僕の世代には考えられないような無秩序、カオスな空間が「授業中」でした。それでも、先生は諦めず、懇切丁寧に、生徒たちから様々な考えを引き出し、取りまとめ、正解に持っていこうとしており、つとめて冷静に振る舞っています。
正直、僕には先生たちが哀れに思えました。そして、だんだん、昔の小学生だった頃の自分を思い出して、その子供たちの身勝手さに腹が立ってきました。
「オイ、お前ら、静かに先生の話を聞かないか! 今は授業中だろ!」
と全身全霊の声を絞り出して怒鳴りたいのを、やっとこさ、こらえました。あ、これ、オレらが子供の時に怖い先生から怒鳴られてたセリフと一緒じゃんか、と後になって思いました。
その時の経験の前後で、今の学校教育は「教育方針」が僕らの頃とはまったく違う、と言う話を聞きました。今は個性を重んじ、一人ひとりの意思や意見が尊重されるそうです。個性と多様性が認められるために、男子女子関係なく、「**さん」と苗字で呼ばれます。学校内では、「君」「さん」の区別なく、生徒も全員「さん」で呼んでいるようです。ま、僕らの時代には「君」も「さん」も付かなかったですが。生徒の番号も性別に関係なく五十音順です。
それを聞いて最初は「素晴らしい!」と思いました。時代は変わったなあ、と。体罰もない、怒鳴られることもない。生徒という人格を認め、それぞれの個性に合った教育を提供する、と。
でもねえ。。。。だんだん気がついて来ちゃったんですよね。僕的には。あの、あくまで、これは僕の私見です。なので批判されても知りません。ただ、問題提起くらいしておいた方が良いと思うので、独り言で書いているだけです。
先生たちは明らかに、僕らの頃と違って、疲弊して見えました。ストレスを抱えていました。僕も社会人として一応何十人かの部下を持った経験があるので、その人がどのように感じているか、とかは何となく察することができます。で、思ったんです。
今の小学校の先生って、ただの無理ゲーやらされてね? って。
で、いろいろ考えたら、今の「教育方針」とやらの矛盾に気がついてきてしまったんです。
....ここまで書いて思ったのですが、この話、かなり長くなりそうです。なので、今日はここまでにします。
ではまた近いうちに! 明日も良い日でありますように!