ハヤえもん開発者 りょーた(山内良太)
僕は、損得勘定という考え方が好きだ。 損得勘定というと、良くないニュアンスで使われる事も多い。 「あの人は、損得勘定ばっかりで物事を考えて……」 そんな風に批判的に見られたりする。 こんな時、大抵の場合は損得勘定の「範囲」が狭すぎる事が多い。 例えば、金銭的な損得勘定でしか物事を考えない人。 金銭的メリットがある事しかやろうとせず、人から嫌われたりする。 この場合、損得勘定の範囲が狭いのである。 人から嫌われるという事は金銭的に言ってもデメリットの方が大きい。
会社員をしていた頃、すぐに怒り出す人がいた。 「なんでこんな事も分からないんだ!」 「これぐらい分かって当たり前だろ!」 そんな人を見るたびに、僕は胸が痛くなった。 「分かってくれて当たり前」は、教える側の甘えだ。 教えてもいない事を上手くやってくれる人がいるのは確かだが、大半の人はそうではない。 何度も教えて初めて身に付く人ばかりだ。 「なんでこんな事も分からないんだ!」 こういう人を見るたびに僕が思うのが、「誰もがオギャーから始まった」という事だ。 どん
学生時代、「将来、幸せになりたいなー!」なんて思っていた。 「大金持ちになって、美人と結婚して、幸せになりたい」 そんな事を思っていた時期が、僕にもあった。 35歳になった今、僕は確信している。 幸せは「なる」ものではなく「感じる」ものだ。 そもそも「幸せ」というのは抽象的な概念だ。 何か絶対的な基準があるわけではない。 お金がたくさんあれば幸せなのか? 友だちが大勢いれば幸せなのか? お金持ちでも不幸な人はたくさんいる。 人脈がたくさんあっても幸せを感じ
毎日アプリ開発をしていると、突如として苦しい瞬間が訪れる。 解決法がどうしても分からない。 頭を抱え、「くそー、どうすればいいんだ!?」と焦り始め、体には汗をかいてくる。 焦れば焦るほど、解決からは遠のき、どんどん視野が狭くなっていく。 日常には、苦しい事がたくさんある。 こんな時、僕は「フリ」という考え方を使うようにしている。 この苦しみがあるからこそ、解決した時の気持ち良さがある。 今の苦しみはすべて、将来の達成感を生み出す為のフリにすぎない。 そんな風に
インターネットの登場により、コミュニケーションを取る為のコストは劇的に下がった。 LINE、Twitter、Facebook、Instagramなどで、四六時中、誰とでもつながれる時代になった。 僕が子供の頃とは大違いだ。 僕が子供の頃は、誰かに連絡を取る為の手段は「家電」(いえでん)しか無かった。 家に電話し、「タカシくんいますか?」などといって、本人に代わってもらっていた。 これが今や、パソコンやスマホを使えば、いつでも誰とでもつながれる。 連絡が取りやすくな
僕はわりと1人で過ごす時間を楽しめる方だ。 嫁が「ちょっと子供たち連れて出かけてくるね」なんて言ってくれた日にはガッツポーズだ。 「よっしゃー、アプリ開発に集中できる!」ってな具合に。 そんな僕でも、時には「寂しい」という感情を抱いたりもする。 家族も全員出かけている。 ツイッターを覗いても誰もいない。 外界との接触が全て遮断されている。 何のつながりもない。 寂しい。誰かと触れ合いたい。 仲間の誰かに「元気ー?」とでも連絡すれば良いわけだが、何かそれも違う
僕は目標を立てる時、「大きな目標」を立てるようにしている。 「ハヤえもんによって、音楽をもっと楽しくする」とか、「世界に影響を与えるアプリ開発者になる」とか、そういう目標だ。 「夢」と言い換えても良いかもしれない。 大きな目標を立てる事によって、道を見失わずに、進みたい方向に進む事ができる。 僕は「大きな目標こそが正義」と、そう思ってきた。 しかし、最近これを覆されるような出来事があった。 それは、僕が「お片づけポイント」という企画を立ち上げた時の事。 僕は子供
ゲーミフィケーションという考え方がある。 日常のさまざまな要素を「ゲーム化」しようという考え方だ。 僕はこの考え方が好きだ。 むしろ、自分の人生そのものがゲームのようなものだと思っている。 アプリ開発をしていて、日々アップデートをしていく。 これはゲームで言うところの、レベルアップだ。 そして、どんどんユーザーや仲間が増えていく。 RPGで言うところの、パーティが増えていくようなものだ。 そして、人生というゲームが面白いのが「やればやっただけ、人生そのもの
僕はお金が好きだ。 「お金は汚いもの」という価値観を持った人もいるが、僕は好きだ。 お金はもともと、価値を交換する為の手段でしかない。 お金が発明される前、人は物々交換をしていた。 梨を持っているAさんがリンゴを欲しがっているとする。 リンゴを持っているBさんが梨を欲しがっているとする。 AさんとBさんが運良く出会えば、リンゴと梨を交換して2人ともハッピーだ。 運良く出会えばというのがミソで、出会わない可能性だってある。 リンゴを欲しがっているAさんが、リ
僕は毎日、自分で自分を褒めている。 アプリ開発をしたら「良くがんばった、えらいぞ!」と褒める。 保険などの面倒な手続きをした時も徹底的に褒めまくる。 なぜか。 自分にとって一番身近な存在が、自分だからだ。 僕は、僕という存在を喜ばせたい。 「楽しい」という気持ちになってもらいたい。 励ましてあげたい。 「行動しよう」と思えるように、生き生きとしてもらいたい。 そう考えた時に、自分を褒めた方が良いか、けなした方が良いか、何も投げかけないのが良いか。 僕は
中学時代、「慣性の法則」というのを習った。 アイザック・ニュートンが「運動の第1法則」として整理したもので、「すべての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける」という法則だ。 「宇宙で物を投げると、ずっと同じ方向に動き続ける」という話を聞いた事があるのではないだろうか。 慣性の法則がまさにこれで、「止まっているものは止まり続けるし、動いているものは動き続ける」という法則だ。 そして僕は、「慣性の
僕が一番大事にしている言葉。 それは、「ありがとう」と「ごめんなさい」だ。 「ありがとう」という言葉は、人がしてくれた事が自分にとって嬉しかった時に使う言葉だ。 「有難し」(ありがたし)という言葉が語源になっている。 つまりは、「起こるはずのない事が起きた」という事に対して感謝の気持ちを抱いた時に、「有難うございます」という表現をする。 ウェブ上で表現活動をしていると、感謝の気持ちを抱く事が良くある。 ユーザーさんがアプリの改善策を提案してくれたり、不具合を教えて
「有言実行」「不言実行」という言葉がある。 有言実行は、自分が何をしようとしているのかを口に出してそれを実行する事。 不言実行は、あれこれ口に出さずに実行する事。 違いは実行の前に「発言」があるか否かだ。 僕は、有言実行タイプだ。 昔から親や先生に良く言われた「いいから黙ってやりなさい」という言葉。 あれがすごく嫌いだった。 我が国日本では、「我慢」が美徳とされる風潮がある。 本当は苦しいのに何も言わず、黙々と努力をする事こそが尊いとされるような風潮がある。
ツイッターをしていたら「忘却力」という言葉が出てきた。 この言葉を見た瞬間、僕は「面白い」と思った。 忘れるというのはマイナスの文脈で使われる事が多いが、「忘却力」と表現した瞬間、まるで優れた能力のようだ。 僕は記憶力が低い。 嫁との会話や約束もすぐに忘れてしまう。 では、記憶力が低いと何もできないかというと、そんな事は無い。 僕はむしろ逆だと思っている。 記憶力が低いからこそ、僕はアプリ開発ができている。 アプリ開発をするのに必要な情報は、ウェブ上に載ってい
2018年5月11日、独立してから11日目の今日、僕はハヤえもんMac版の初めてのβ版をリリースした。 正直に言おう。 このハヤえもんMac版について、僕は特に何もしていない。 そう、本当に「何もしていない」のだ。 1文字たりともソースコードを書いてはいない。 話を遡ると、2017年10月25日、Daisukeさんという方からメールが来た。 趣旨は、「ハヤえもんを長年愛用している。最近環境をMacに変えたものの、ハヤえもんが無いので開発したい」というものだった。
「好きこそ物の上手なれ」ということわざがある。 僕が大好きなことわざだ。 好きな事は、誰から言われなくても自ら時間を割いてやろうとする。 時間をかけてやっていくと次第にその物事に習熟していく。 だから、好きな物事は自然に上達する事ができる。 この「好きこそ物の上手なれ」ということわざを体現すべく、僕は自分の「好き」とか「楽しい」という直感を信じて行動してきた。 「好き」とか「楽しい」という気待ちこそが、人生を好転させていくと信じてきた。 その結果、驚くべき事が起