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ありのままの自分とあるべき自分

「ありのままの自分」と「あるべき自分」が何かを考えたときに、正直違いが分からないし混同してしまっているのではないかと思った。

普段周りからは「マイペースで○○君らしいね」と言われることが多いけど本当にそうなのだろうか。そう信じたいと思いつつも、ちゃんと内省してみると常に自然体でいれているわけではないことに気づいた。

例えば、あんまり気は進まないけど好印象を作りたくて見栄を張ってしまったり(自分を大きく見せようとするほど小さく見えてしまうという皮肉…)、本当は話しかけたいけど変に気を遣ってしまい自分の感情や行動を抑制してしまったり。

では、どうしたらありのままの自分を出せるのだろうか。まずは自然体だと思えたときの自分はどういう状態だったか?を言語化することから始めようと思った。加えて、自然体ではなくあるべき自分に縛られている状態も一緒に考えてみた。

あるべき自分

  • 何事も冷静に考えて理性で判断している

  • 周りの目線を気にして、感情や行動を上手にコントロールしている

  • 他者に理想の自分を見せていることから自信を得ている

  • 目の前のことを軽視して、中長期的な幸せを優先する

ありのまま自分

  • 自分の感情や思考の経験に基づく直観を信じて行動している

  • 好奇心と向上心が趣くままに、何かに夢中になっている

  • たくさんの人に出会って、自分の価値観をどんどんを広げている

  • 今、目の前のことを純粋に楽しんでいる

  • 素朴な気持ちや考えをちゃんと素直に伝えている

無意識だったかもしれないけど、これまでの人生経験を通してあるべき自分が刷り込まれて、態度や行動に出てしまっていたことは否めない。けど、特に海外旅行や様々なバックグラウンドを持った人たちと関わりを通して、少しずつ心の奥底に眠っていた人間らしい部分が蘇ってきた感覚を持つことができた。

幼少期はあるべきが何かを知らないからありのままでいるしかないんだけど、成長するにつれて色々なことを知り徐々にあるべきがありのままを侵食する。補足すると、善し悪しではなく程度の話であり、その人の心地よさや充実感が最大化するバランスを見極めて調整することが大事だと思ってる。緊張と緩和の均衡に近い感覚で、対局の感情や思考があるからこそ、お互いに際立ち存在感や価値を見出すことができる。

けど、無意識に社会との接点を持ち続けると、社会で理想とされる理想像に思想が寄せられてしまうことが多いため、意識的に子供の頃の好奇心や冒険心を取り戻し、人間としての純度を高めていきたい。

そのためにやりたいことを適当に書き連ねていこう。

  • 異なる価値観を持つ人と出会い、対話する

  • 未知の場所に行く(特に海外、究極は宇宙)

  • 初めての経験を増やす

  • 大自然に触れる

  • 芸術作品を鑑賞or製作する

  • 好きなことに熱中する(特にサッカー、ポケモン)

  • 時間やスマホを気にしない(目の前のことに集中する)

友達に「少年みたいだね」と言われることがあるんだけど、実は結構うれしい。


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