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【第8回】恩送りの文化

私たちは貰うことが当たり前だった

産まれる前は母体から栄養を貰っていた。
生まれてからも、食べることも歩くことも出来ない私たちは、多くの人に沢山のものを貰って生きてきた。
家や学校のような環境でも、学ぶことや経験することが当たり前の権利として持っているようだった。

そこに私たちが対価を払うことは義務ではなかった。


当たり前ではないことに気づく

私たちはそれらを貰うことが当たり前ではないと気づき始める。
恩を貰うことの意味を理解し、相手の状況や労力を想像出来るようになった。

そうして、対価を返せないものや特に有難いものを貰った時、私たちは困惑する。

「私は何を返したらいい」
「私はあなたにできることがあるだろうか」

自分より経験値や広い知見がある人には、こちらからできることはないように感じさえする。
少しは返せていたとしても、等価交換ではない。
有難い(有ることが難しい)ことだ。
有難いを通り越して、申し訳無さすら感じる。


恩送りという解釈

そんな時、凄く素敵な考え方を教えてもらった。

私も沢山貰ってきた。
だからあなたも私以外の誰かに送ってあげて。
恩返しはしなくていいから、あなたの大事な人にその恩を送ってあげて。

なんてかっこいい考え方なんだ。
人は100%の善意のみで行動し続けることはできない。
その行為により何かしらの得るもの(お金ややりがい、経験とか)がないと、それは長続きしない。

その人は、自分は対価を貰わず、その人が誰かに恩を送ることに意義を感じて見守ってくれる。
その人にとったらそれがやりがいと感じているのかもしれない。

この考え方に触れてから、自分の周りには恩送りをしている人が沢山いることに気づいた。
なんて素敵な人達なんだろう。
自分もこの人達のようになりたいと思った。


恩送りという文化

沢山の恩を貰い、少しずつ自分も恩を送る中で、これが脈々と続く人類の歴史なのだと思うようになった。

ある2世代があったとして、親世代が子世代に恩を送り、子が親に恩を返すをだけしていたら、次の世代には何も残らない。

子世代が親世代にして貰っているように、孫世代に恩を送る。
親は、子が孫に恩を送っているのを見て、自分の役割が一区切り終わったことに気づく。

実際の子育てでも、ビジネスや社会のほとんどの組織でこのような循環がある。
だからその組織は誰か一人に依存しない長続きするものとなる。
もっと大きく見ると、日本や地球上で人類が過去の経験や知見、教訓を次の世代へ送ってきたから今がある。

この恩送りの文化がある場所では、こんないい循環が勝手に起きて、その風土に惹かれて人が集まり、人はまた誰かに恩を送ることが出来る。
これが人の優しさとも解釈される。
自分もこんな組織の中にいたいし、そんな組織を作る人間になりたい。

自分はこれまでの沢山の人達の恩のおかげで存在している。

それに気づけたら、また、人に恩を送ろうという気が起きてくるような気がする。

もちろんその恩が「有難い」ことだとは忘れないでおきたいな。

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