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”地獄の走り”から学んだ人生の攻略法
こんにちは。
本日は私が自信を持って伝えられる人生の攻略法をお伝えします!
これは人によってはかなり衝撃を受ける内容だと思いますね。
本日の結論
人生もマラソンも本気で走ったほうが楽である
どうですか?
いまいちピンとこない方のために過去の事例を思い出してもらいましょう。
例えば学生の時に体育の授業で行った長距離走。
距離は決まっているがタイムというノルマが決まっていないあれです。
(ここでは仮に5キロとしましょう)
冷静に考えて手を抜いたほうが楽だろうと思う方がほとんどでしょうが、実は本気で走った人にしかないメリットもたくさんあります。
順に解説していきますね。
まず一つ目は
早く走れば走るほど苦痛時間は短くなる
走るのが好きだという方を除いてはあの”走る”という時間は非常に苦痛ですよね。(ずっとサッカーをやっていた私も走る時間は一番嫌いでした。)
走る距離が変わらないという状況下で嫌なことに省く時間を少しでも減らす方法。
それがまさしく早く走ることなんです。
他の要素を無視して時間という括りのみで考えると絶対に早く走ったほうが走るという苦痛な時間を減らせるので、余った時間にサッカーやキャッチボールといった好きなことに割ける時間が与えられますよね。
実際に私の通っていた学校ではゴールしていない生徒を待つ間は何をやっても良い時間が与えられていました。
好きなスポーツをするのも良し。
寝転がるのも良し。
本当に自由です。
これを人生に置き換えてみると、自らスピード感を持って仕事する人とだらだらと時間をかけて仕事する人に分けられます。
だらだら1週間かけてこなす人の仕事量を3日で終わらせることが出来たら余った時間を趣味や娯楽に使うことができ選択肢が増えますよね。
その余った時間に旅行するも良し。
筋トレして自分を高めるも良し。
逆にだらだらと仕事をこなした人は1日における仕事時間の割合が高くなかなか自由な選択肢を持つことができなくなってしまいます。
一見楽なように見えて自分の首を絞めてしまっているかもしれません。
この事例の場合ではどちらの人物がより生きがいを感じながら生活しているかは想像しやすいのではないでしょうか。
続いて二つ目は
案外苦痛の大きさに大差はない
先ほど他の要素を無視して発言しましたが、本気で走った際に一番デメリットとしてあげられるのが体力面での苦痛だと思います。
しかし、想像してもらいたいのですがぶっちゃけ早く走ってもだらだら走っても、苦痛の種類は違えど苦痛度合いには大差なくないですか?
むしろ早く走った人は主に肺や足といった体がキツくなりますが終わった後にはそれなりの達成感すら抱きます。
逆にだらだらと走った人は肺など身体的な負担は少ないですが、ゴールが見えない苦痛や永遠にも思える中途半端な苦痛時間。
さらに精神的苦痛で終わった後には達成感はなく「だるかった」という愚痴だけ。
おまけに長時間のジョギングによる乳酸の蓄積もあるかもしれません。
人生でも同じようにハードワークをすると体力的苦痛はあるかもしれませんがその分の達成感や実力等得られるものの方が多くなることが多いですね。
逆にスローペースで人生を過ごしているとワークライフバランスは整うかもしれませんが永遠に無くならない不満やストレスに押しつぶされてしまうことがあります。
私の肌感でいえば体力面でのキツさより精神面でのキツさの方が解決しにくく厄介だと感じます。
そして最後のメリットは
ランナーズハイというラッキーパンチをもらえる
みなさんはランナーズハイって聞いたことありますでしょうか?
簡単に言うとよくマラソン選手等が陥る全力の向こう側の気持ちいいゾーンのことです。
私も人生で何十回と経験しましたが体がとてつもなく軽くなり今までの疲労がなかったかのような感覚を得られるんですよ。
精神的にも肉体的にも楽な状態なのですが、皮肉なことに楽をしようと力をセーブしている人には起こらない現象なんです。
この文章で納得していただける方が多ければ人生もマラソンも本気で走った方が楽であるという説は正しいということになると思っています。
ここまではみなさんに分かりやすいように学校のマラソン経験で例えましたがここからは私独自の経験から伝えていきたいと考えています。
地獄の走りから感じた自分自身の成長
私は4歳から22歳までサッカーをしていたのですがその中でも高校、大学は本当に走りのメニューがきついことで有名な学校に進学してしまいました…。
それまでの私なら簡単に手を抜いていただろう環境でもなぜか誰よりも自分に厳しくやってきたという自負を持っています。
そして不思議なことにそのしんどさというのは、手を抜いてきた中学時代までと大して変わらなかったんです。
ここからはそれが一体何故なのかというところを紐解きながら進めていきたいと思います。
高校時代の限界経験
私の進学した高校は県内でも一番厳しいと言われていた高校で、当時県内の高校は2校しか知らなかった私はその2分1で当たりを引いてしまいました。
入学してからも1年生はひたすら走りで新入部員の半分以上が疲労骨折をしてしまい、週に一度のボールトレーニングの後にも地獄の走りが待っているという状態です。
当然次々退部していくものが現れ、残ったメンバーも日々不満を垂れながら練習に向かっていました。
しかし、私の当時のメンタルはそんな毎日が楽しくて仕方がなく、親が高いお金を出してくれているおかげでサッカーができるという喜びに満ちていました。
練習が終わると一目散に帰るチームメイトを横目に日付が変わるまでドリブルをして終電で家に帰る。
通学時間もドリブルで学校に向かい教室や廊下でもドリブルをしているような生徒でした。
側から見ればイカれているし努力していると見られていたと思いますが自分自身努力していると考えたことは一度もありませんでした。
本来なら周りよりも疲労を感じているであろう生活でも、不思議と周りの方が疲れているように見えていたんです。
ここで何が言えるかというと人はしんどいと思いながら生活するから疲労が溜まり、不平不満を言うようになるんだということです。
この時の私は人生のランナーズハイ状態でした。
みるみるうちに上達し、1年生時には神戸市選抜の選考も落ちた選手が1年も経たないうちに関西選抜に選ばれるまでに成長していたんです。
要するに人生はいかに夢中になれることに出会えるか、そして努力だと感じないほど夢中に積み重ねられるかということなんだと思います。
この経験は私の人生観をぶち壊してくれました。
大学生時代の肉体的苦痛
大学に入学するとまたしても走り期間から始まるという地獄を経験しました。
大学はもっとスマートにサッカーをやるという幻想を抱いていた私は衝撃すぎて毎日湯船で睡眠の恐怖と闘っていた記憶があります。
この頃の私はチームではダントツでビリ、常に周回遅れで走っていたのに誰よりも疲れているという最悪の状態でした。
走り期間が終わっても、火曜日は走りトレーニングの後にフィジカルメニュー。
木曜は朝の太陽が出ていない時間からのダッシュメニューからスタートという生きた心地のしない生活でした。
毎日不平不満を言い、時折監督と喧嘩しては練習を出されるという悪循環の中でこのままではまずいという危機感から全てのメニューで先頭を走るようになったのです。
入学当初は周回遅れだった選手が先頭を切って走るようになった結果。
それがまさしく今回のテーマでもある、本気で走った方が楽であるということなんです。
当然先頭を走るためには体力がないとダメなので朝晩のジョギングやオフの日の坂道ダッシュは続けていましたが、そんなしんどさよりランメニューの最後尾の方が100倍しんどいという衝撃の事実を知ってしまったのです。
そしてそんな生活を続けていると3回生になった時にはチームで一番中長距離の速い選手になっていました。
そして毎週の試合で走行距離やスプリント回数で群を抜いた数値を連発しいつしか前田大然選手と張り合うレベルになっていました。
(入学当初は試合開始10分で息切れ前半最後まで体力が持ったことはなかったんです。そして前田大然選手が気になる方はぜひ調べてみてください。笑)
振り返ると入学当初に先頭を走るという決断をしていなかったらこんなに成長することはなかっただろうし、もっとしんどい思いをしながら不満を垂れていたんだろうなと思います。
この経験から人生においてもやればやるほど実は得られるものや達成感が大きくなり、実は低空飛行をしている人よりも疲労感なく生活していけるんではないかと考えています。
まとめ
こんな偉そうに本気になることについて述べた私ですが、実は現状あまり自分の納得いく結果や取り組みができていないんです。。
しかしこの記事を書いて改めて本気で人生を歩もうと思うきっかけになりました。
みなさんの心にも何か届けることが出来ていたら本当に嬉しいです!
お互い本気で人生を歩みましょう!!!
最後までご覧いただきありがとうございました。