たくさんの人に支えられて「今」がある
今から昔話をするね。
ちょっと長くなるから時間のある人はどうか最後までお付き合いしておくれよ。
学生時代の頃の自分には生きる意味なんてなかった。朝起きて目が覚める。そして日が暮れて、ベッドで眠りにつく。
ただそれの繰り返しを過ごしているだけで、「生きてやるんだ!」って強い意志なんてなかった。でも死ぬ理由もなかったし、死ぬのも怖かったからただ生きているだけだったんだよね。
僕の家はとても貧乏だったから、高校生から自分の生活費を自分で稼いでいました。バイト漬けの毎日だったから、学校では寝てばかりの毎日。
お金がなさすぎて2,3日ご飯が食べれないこともあったし、ほんとに辛かったなぁ。
遊ぶ余裕もほとんどなかったし、寝ぼけ眼をこすりながら学校に行っていたのがめちゃくちゃ懐かしい。そして誰にもその悩みを打ち明けられずにいたというのも事実。
だから学生時代の友人は僕が学校でずっと寝ていた理由を知らないんじゃないかな。まあそんな話や素ぶりを見せないようにしていたからなんだけどね。 「悩みを話しても解決しない」と思っていたから話さなかったというのが正しいのかも。
笑顔の裏には常に悲観的な感情があったし、冷めている自分に嫌気も差していたっけな。
日銭を稼ぐために働く毎日。とても幸福とは思えなかった生活。でもたくさんの人に支えられて今があるという事実に気づいたのは社会人になってからの話。
どんな問題も自分一人で乗り越えられたわけではない。ほんとバカだねぇって今なら思えるんだけど、当時は周りを俯瞰できるほど余裕もなかった。自分から離れていった人もたくさんいるし、ほんとうにごめんなさいって今も思ってる。
当時の生活から抜け出したくて、何者かになろうとした時期もあった。でも何をすれば良いかわからなかったから、何もせずに途方に暮れていたんだよね。
何者にもなれないまま大学を卒業し、社会人になってから文章を仕事にするようになった。とにかく必死で会社が終わってから寝る間も惜しんで文章を書く毎日。
徹夜で会社に行ったことも何回もあったし、とにかく自分を変えたいって気持ちだけが僕を突き動かしていた。もうほんとたくさんの人のおかげで、今こうして文章を仕事にすることができている。
たくさんの人の支えがなかったら文章を仕事にすることを諦めてたんじゃないかな。うん、絶対に諦めていたと思う。だからみんなに感謝してるし、恩返しもしたいなって。
文章を仕事にしたいと思うようになったきっかけは自分が文章に救われてきたから。文章がなければ今の自分は絶対いないし、もっとひねくれた人間になっていたんだろうね。
だから自分を救った文章で、誰かの支えになりたいと思って文章を仕事にした。文章を通じて誰かの悩みに寄り添えるのは心の底から幸せなこと。
文章を書くようになっていろんな人からお悩み相談が増えた。
悩みを話すだけで人はほんの少しだけ救われる。少しでも前に向けたなら誰かに打ち明けたことは正解なんだと思う。話を聞いた人が直接自分を救ってくれるわけではないけど、少しだけ心が軽くなるのは事実。
そして自分の書いた文章を読んで、相談しに来てくれるのはありがたいこと。 「自分の悩みを話しても無駄だ」と思っていた当時の自分なんだけど、実際はそんなことはないと今なら胸を張って言えるよ。
今は悩みができたときは友人に話すようになった。自分の悩みを話せるようになるなんて当時の自分からすると考えられないだろうなぁ。成長した自分ほんとうにえらいぞ。
話を聞いてもらうだけで、少し前を向けるし、力になっていることは間違いないと思うんだよね。何より自分の悩みに寄り添ってくれる人が周りにたくさんいるのは幸せなこと。だから学生時代の苦しかった時にもっといろんな人に自分の感情をさらけ出せばよかったなって後悔もしている。
27年生きていてたくさんの人の優しさに触れてきた。ほんとうに感謝の気持ちしかないし、支えてもらった人にはまだ何にも返せていない。
いろんな人たちに優しくしてもらったから僕も「人に優しくあろう」って心の底から思う。人間関係を大事にしたいし、身の回りに悩んでいる人がいたら無条件で手を差し伸べられる人間でありたい。
ちなみに生きる意味についてはいまだによくわかっていない。でも素敵な人がたくさん周りにいるから、自分は幸せだなって思う。
エモいとかそういうのはよくわからないし、使い方が合っているかわからないけど、自分にとっては今までの歴史のすべてがエモーショナルなできごとなんだよね。
そして、周りの人たちに恵まれてきたから今の自分がある。
そのことを胸にこれからも自分や誰かのために文章を書いていく。
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