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大人になればなんにでもなれると思ってた
「大人になればなんでもできる」
大人になれば自由になれる気がしていて、大人になればなんにだってなれる気がしていた。
幼少期の僕は、大人になることに強い憧れを抱いていた。
大人は夜遅く起きていても怒られないし、好きなテレビを見ることができる。
いつも大人に主導権を握られていた僕は、今すぐにでも大人になりたかった。タイムマシーンがあったなら今すぐにでも20歳の自分になっていたであろう。
中学生の頃に大人に憧れて飲んだブラックコーヒー。「これが大人の味かぁ」だなんて、友達と一緒に飲めもしないブラックコーヒーを自動販売機で購入して、苦しみながら全部飲み干す。
ほんとうはコーラが飲みたかったんだけど、早く大人になりたかった僕はブラックコーヒーを選んだ。
早く大人になりたいという気持ちが、僕の選択肢からコーラを選ぶ権利を剥奪してしまったのだ。
夕方まで友達と公園で遊んで、日が暮れた頃に、解散して家に帰る。「まだ大人になるのは早かった」とお風呂で1人反省会。初めて飲んだブラックコーヒー。一生大人になれないのかもしれないと本気で思った。
半年ぐらい苦味に慣れず、それでも早く大人になりたくて、ずっとブラックコーヒーを飲んでいた。
回数を積み重ねていくと徐々に慣れる苦味。とうとう大人になってしまったかと少し嬉しくなった中学3年生の夏。
そんな僕は今じゃブラックコーヒーしか飲まない。でも美味しいかと言われれば美味しいと思って飲んだことは1度もないんだよな。大人ってなんだっけ?
中学生活最後のサッカー大会で市大会に進み、1回戦でPK戦で負けた夏。「あのときこうしておけば」という後悔だけが胸に残る。
最後の大会に負けてしまい、上には上がいるということをこれでもかと思い知らされた夏。
適当にやった受験勉強。適当にやった勉強でも志望校に受かってしまったから、人生はちょろいと本気で思っていた中学3年生の冬。
高校に入学し、初めて取った赤点。笑いでごまかしたけど、赤点を取った自分が恥ずかしくて、情けなくて本気で勉強しようと思えた高校2年の冬の期末テスト。
1日10時間以上勉強した大学受験。志望校に合格するために必死だった。勉強の面白さに気づき、受験勉強後に買った英単語帳。
学校の授業よりも自分の好きなことを学ぶ方が楽しかった。でも今じゃそこまで勉強に対しての意欲はない。
青春ごっこに憧れて、少女漫画みたいな恋愛がしたくて、自転車で2ケツをして坂を下りながら女子に告白をしたこともある。
好きな人と付き合うことができたこともあるし、告白して振られたこともある。人生は上手くいかないこともあるということを恋愛から学んだ。
好きな人に送ったメールが。なかなか返ってこず、悲しくなったり、ふとしたときに会いたくなって、好きな人のバイト終わりに、偶然を装って、バイト先に迎えに行くなんてこともよくした。
「なんでいるの?」とバイトを終えた彼女が僕に言う。「会いたかった」からだなんて口が裂けても言えなかった当時の僕。
いつもたまたま近くで用事があって、そのついでに迎えに来たということにしていた。でもほんとうは好きな人に会いたかっただけだ。てかな察しろよ好きな人。皆まで聞くな。
ふとしたときに適当な理由を並べて掛けた電話。ほんとうは声が聞きたくて掛けた電話。でも本音は口が裂けても言えない。
だって恥ずかしいでしょ。ねえ誰かこの気持ちわかってくれない?
電話を切るのが嫌で、ずっと好きな人の声を聞いていたかった。僕から電話を切りたくなかったから、相手に電話を切ってもらうことをルールにしていた。
「さようなら」じゃもう会えなくなってしまう気がしたから、「またね」と言って、君の声を噛み締めながら、幸せを逃さないように電話を切る。
好きな人の声を聞いてから眠ると、すっと眠れるのはなぜだろうね。これも大人の階段を登っている証拠なんだろうか。
恋の駆け引き。押してダメなら引いてみる。引きすぎて失敗したこともある。君と僕の青春。恋愛には全部ドラマがあった。僕だけに見せる君。そして君にしか見せない僕。
あのとき確かにそこには2人だけの秘密の青春があった。
うまくいったこともいかなかったことも全部が僕らの青春だ。
些細なことがきっかけで好きな人とした喧嘩。好きな人と一緒に海で見た夕焼け。青春ごっこなんかではなくて、あの日あの時僕らはまさに全力で青春ってやつを謳歌していた。
学生の頃に初めて吸ったタバコ。予想通りゲホゲホとむせてしまった僕。
頭がくらっとして、その姿を見た友人にゲラゲラと笑われる。マルボロの赤。セブンスターにわかば。いろんなタバコを吸ったけど全部まずかった。タバコは一生吸わないだろうなって思えた。
なぜかジッポを持っていた人は勇者みたいな扱いを受けていた。今ではなんとも思えないようなことも、子どもが持っていると勇者みたいな扱いを受けるのはなぜだ。子どもの特権ってやつかもね。知らんけど。
タバコの苦味が大人の味なら一生わからなくて良いや。なんてことを本気で思ってしまった。
初めて飲んだお酒。カシスオレンジばかり頼む女子に嫌気が差していた大学時代。
くだらないコールが鳴り響く飲み会。一気飲みを何度も繰り返し行うやつ。お酒の勢いで裸になるやつや泥酔するめんどくさいやつらを介抱したこともある。
ビールを頼む大学のゼミの先輩に、「また飲まされんだろうな」と腹を括る僕。結局毎回吐くまで飲まされた飲み会。
飲み会に良い思い出なんか一切なかった。お酒が嫌いになった大学生のゼミ飲み会。
お酒は人を狂わせるということを身に染みて感じた大学生活。
急性アルコール中毒で運ばれる友人に、その辺のチンピラに喧嘩を売るバカを必死で止める僕。
へこへこと平謝りしながら、「落ち着けよ」と思ってもいないことを言って友人を止める。ほんとうは今すぐにでも殴ってやりたかった。
あれ?僕が思い描いた大人ってこんなんだっけ?
どこで大人への正規ルートを間違えたんだろうか?
「ビールは喉で味わうものだよ」
飲み会の途中、突然意味のわからない台詞を大学のゼミの先輩が言う。
「うるせえよ。ビールの味なんか知るか。飲み物は喉で味わうんじゃなくて、味覚で味わいたいんだよばか。」
なかなか言い出せない本音と聞かなきゃならない先輩の話。妥協を覚えた瞬間だった。
未だにビールを喉で味わえない僕はまだ子どもなんだろうか?
大学生というモラトリアム期を経て、晴れて僕は念願の新社会人となった。大人の仲間入りをした瞬間で、とうとうこのときがやってきたと高まる鼓動。
初めてのオフィス。初めてのスーツでの出勤。社会人になるまではほとんど乗らなかった御堂筋線。慣れない満員電車が、僕の体をガタンゴトンと目的地まで運ぶ。高揚する心と不安でいっぱいな心。
社会人になって「大人になることは妥協すること」ということを、当時の上司から口酸っぱく言われていた。妥協することが大人なら僕は大人にならなくても良い。
そう本気で感じた新社会人1年目。大人に絶望してしまった新社会人1年目。
でも社会に出てからは妥協の連続だった。相手との妥協点を見極める毎日。クライアントとのやりとりに磨耗し、必死にお互いが納得いく妥協点を探す。
仕事をサボるため営業終わりにカフェに入る。淀屋橋の古びれた喫茶店にはよくお世話になった。
アイスコーヒーを頼んで、コンセント席にズンと腰を掛ける。iPhoneを充電しながら、youtubeで動画を見たりなんかもしたっけな。
あれ、大人になるってこういうことだっけ?
初めての社会人。右も左も分からない僕。全てが新鮮で、全てが恐怖そのものだった。そんな自分に説教じみた話ばかりする上司。口うるさいため嫌われる上司。
相手を思いやる優しさを持っていた上司に尊敬の念を抱く。
同期が上司を嫌う気持ちが1mmもわからなかった。人のために嫌われる勇気を持って、伝えなきゃいけないことを伝えてくれる人はそうそういない。
だから僕は上司の話を真摯に受け止めることで、自分を成長させていった。
聞きたくないことから逃げるのは簡単だ。そして、僕らは嫌なことからすぐ逃げ出してしまう。
でも向き合わなきゃ変わらない。自分のダメなところを言い方はキツイけど、愛情を持ってきちんと伝えてくれる上司がかっこよく思えたんだよ。
大人になったら飲めると思っていた初めてのブラックコーヒー。友人からもらった初めてのもらいタバコ。道端で吐くまで飲まされたお酒は全部まずかった。
「大人になれば味がわかるようになる」なんて言われたってわからないよ。大人の味がわからない僕はまだ子どもなのかもね。
でもブラックコーヒーもお酒も飲もうと思えば飲めるし、タバコだって吸おうと思えば吸うことができてしまう。
そこに美味しさなんて感じない。徐々に慣れていくことで、感覚を麻痺させてきたのかな。それとも味がわかるようになるのが大人なのかな。答えは大人になった今もわからないままだ。
「大人になればなんでもできるようになる」
お金も学生時代より持つようになった。学生時代によく行った焼肉食べ放題ではなく、ちょっと高級な焼肉を食べに行けるようになったし、飲み放題じゃなくて少し小洒落た居酒屋に行くようにもなった。
飛行機の切符さえ取ってしまえば海外にだって行けるし、青春18切符の鈍行で長時間掛けて行きたいところに行くのでなく、新幹線ですぐに移動もできるようになってしまった。
どれだけ夜遅く起きていても怒られないし、好きなテレビをこれでもかってぐらいに見ることができる。なんならDVDを借りてきて好きな映画をなんども鑑賞することだってできてしまう。
大人になってから確かに自由の幅は確かに広がった。
でもなぜだろう?
大人になればなるほど、自分がなにもできないことを思い知らされるのは。
誰でも覚えられるような簡単なことも覚えられないし、予定をダブルブッキングしたりと毎日失敗ばかりしている。
なにをやっても上には上がいるし、上を見ればキリがない。わかっているんだけど、上を見てその度にへこんでしまう弱い自分。
仕事で失敗した自分に絶望したり、嬉しいことがあれば喜んだりと、なんにでも一喜一憂してしまうところは、大人になっても変わらないだよなぁ。
一生このまま一喜一憂する自分で生きていくしかない。
「自分は無力だ」なんて嘆くのは簡単なこと。そして、逃げ出すことも簡単なことだ。
でもそれじゃダメだろう?それでもここまでやってこれたんだろう?
できないことがあっても良い。人は1人じゃ生きていけない。大人になればなるほど1人では生きていけないということを、誰かに生かされているということをこれでもかと思い知る。
大人になると強くなれるって思ってたんだけど、完全に逆だった。自分の無力さを知る機会が増えて、自分の弱さが際立つ瞬間が増えたんだよ。でも同時に「できないことは誰かと補い合えばいい」ということを知ったのも大人になってからのことだから、大人になるって案外悪くないね。
— サトウリョウタ/Ryota/エモい文章屋さん (@RyotasannNo) July 24, 2019
大人になってから知ったこと。今も知らないこと。たくさんあるけど、大人になるって案外悪くない。
残念だけど僕が幼少期の頃に描いた理想の大人にはまだなれていない。
幼少期の頃に描いた理想の大人になるために、今日も今日とてできることを目一杯やって生きていこう。
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