たまには成長曲線から降りてみる
人生は学び続けなければならない。
成長することが人生の醍醐味だよ。
なんて言葉がよく飛び交うこの世界。
人生は成長だけが全てなんだろうか。お世辞にも賢いとは言えない頭をひねって考えてみる。
「大人になったね」
果たして大人になること=成長に結びつくのだろうか?
いくら考えても適切な答えは出てこず、それを探すのが人生なんだろうなって悟りを開いてみたりする。
成長曲線はもちろん伸び続けていた方がいい。成長物語の中に紆余曲折があって、泣いたり笑ったり、時に悲しんだり怒ったりするときがある。
成長に囚われるがあまり大切なこと見失ってないだろうか?
成長することが人生のすべて?
よくわからない。そんな時はあえて成長から逃げてみる。逃げるというよりは戦略的に撤退をする。
歳をとれば誰だって成長する。それが良い意味なのか悪い意味なのかはわからない。
成長に囚われすぎた時は、鳥の目で自分を見てみる。いつも虫の目だと大切なことは見えてこない。
俯瞰的に自分を見ることで、大切にすべきことが見えてきたり、やらなくてはならないことが明確になることがある。
時には誰かの意見を求めるのも必要で、1人よりも2人の方がアイデアは出てきやすい。だから誰かに頼るのだって立派な戦略である。
成長には囚われすぎて、未来を見据えた行動ばかりしていると、今を必死に生きなくなってしまうのではないだろうか?
未来をのために生きるのは素敵なこと。でも今のために今を生きることも大切なことだ。
経験する全てが未来のだになってなくていい。成長とはかけ離れたこともやればいい。
誰かに用意された成長物語。成長がストーリー化され、テンプレートみたいな人生を歩む人。幸せならその道がその人にとって最適解。
でも僕は今、あえて成長曲線を降りてみる。無益なこともくだらないと笑えるようなこともたくさんやっていたいからね。
自分の成長とは関係ないことをやってみる。
訪れるかわからない未来のために生きるよりも、イマココを必死に生きる。
全ての出来事が未来に繋がらなくてもいいから。
時に無益だっていいから。
成長にとらわれる囚われることな、自分のだめに自分がやりたいことをやろう。