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人を誘うハードルが、年々上がっているような気がする

歳を重ねるたびに、人を誘うハードルが上がっているような気がする。小学生のときは、学校終わりにみんなで遊ぼうぜと誘えた。中学に上がっても、高校に上がってもそれは変わらないまま。大学生になったあたりで、少しだけ誘うハードルが上がり、社会人になってからは気軽に誘えなくなった。

それぞれにぞれぞれの生活がある。学生時代の友達は家庭を持つようになったし、社会人になってからできた友人もきっと増えているにちがいない。そこに踏み込むことが少しだけ怖さを抱いている。自分が誰かに誘われたら嬉しいくせに、いまでは自分から連絡を取ることすら億劫になった。

本音は誘うよりも誘われたい。気軽に誘われて、気軽に遊びに行きたい。誰かに誘われた瞬間に、そこに自分の居場所を見つけたような気がする。自分の居場所は自分で見つけるもので、他人に委ねるものではなくない。そんなことは承知の上で自分を必要としてくれる人がいるその事実は、自分を救う糧となる。だから人に誘われるのは嬉しい。自分が誰かを誘ったときに、僕と同じ気持ちになっていてほしいとさえ思うほどにだ。

人を誘うのも、誘われるのも簡単に見えて簡単ではない。それぞれにそれぞれの生活があるため、好かれる人だからといって誘われるわけではないなんてことも考えている。気軽に誘われる人になりたい。どうしてこんなに情けない男になってしまったのだろうかと肩を落とす。本当は毎日のように誘われて、もう無理だよって引っ張りだこになるはずだった。そんなことを言いながら毎日誘われると嫌気が差してしまうのだろう。ないものねだり、いまできることは、目の前にいる人をちゃんと大切にすること。それしかできない。

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サトウリョウタ@毎日更新の人
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