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"正しく理解するためにここに居る"マインド

どうしてそんなにも、自分が正しいであることを示したがり、自分が正しいであることが最重要事項と考えてしまうのでしょうか。

正しいことを示すのではなく、正しく理解するために議論や会議に参加するはずなのに。

理由は様々ある。

・自分は能力がないと思われてしまう恐怖 (Fear of being incompetent)
・自分には価値がないと思われてしまう恐怖 (Fear of being unworthy)
・総じて自分は認められない恐怖 (Fear of being disconnected)


要は、怖いのである。それに耐えられなく、必死で自分を守る。
鎧をつける。
僕の鎧の付け方は、自分が"正しい"であること、自分が培ってきたことを押し通す。意地を張る。辻褄を合わせる。

自分を守ることは本能だけど、
長年重ねあげてきた鎧が遂に厚さ限界に達し、
喜びや愛といった感情も押し殺されてしまうのは
ブレネーブラウンのバルネラビリティの話が有名だ。

恥を感じる心も、喜ぶ心も源は同じなのだ。

僕も鎧があり、付ける。
みんな鎧の付け方はそれぞれだと思う。

対抗する人もいれば、
(例:論理を無理矢理通す、説得する、反抗する、怒る)
寄せていく人もいれば、
(例:人に認められるように動く、完璧主義、自分を偽る)
逃げる人もいる
(例:考えない、無視する、避ける、言い訳をする、アカウンタビリティを持たない)


僕は、寄せていく人です。

誰でも、必ず恥を感じる。これはは避けられない。必ず直面する。

その状況に対して自分はどんな反応パターンがあるのかを観察するのが大事なのだが

その前に、そもそも自分自身がいつ鎧を付けているのかを認識しないといけない。こちらの方が大事だと思う。鎧は無意識につけているから。

つまり、
いつ自分が鎧を付け始めているのか、そして、
どんな鎧を付けているのかに気付かなければならない。

こういったことがセルフアウエーネス(自己認識)だと思います。

ブレネーブラウンがよくおっしゃっている、

I am here to get it right; not here to be right.

私は物事を正しく理解するためにここに居て、
自分が正しいであることを示すために居るのではない。

これはプレゼンや会議とかで思い出すのですが、
かなりパワフルです。

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