よく目的>手段とは言うけれども、手段が目的を凌駕するときがあるのかもしれないし、その方が未来があるのかもしれないと思った話
目的があって、それを果たすために手段を考える。
それが「正しい」と思っていました。
昨晩、とある大人を招き、
高校生・大学生向けのトークイベントを開催しました。
そのときに出た話から、今日のnoteを書きます。
正しいと思っていたことが突如崩れた、素敵な夜でした。
「目的のためにつくってきた手段ではない」
目的があって手段がある。どこでも語られる「正解」です。
決してビジネスの文脈だけで語られることではなく、こういう話をすると思い出すのはFukaseの詞です。
「方法」という悪魔にとり憑かれないで
「目的」という大事なものを思い出して
(SEKAI NO OWARI『RPG』より)
昨晩、それは、ゲストの杉山剛さん(イラストコーディネーター/プロデューサー、@ミリアッシュ)の仕事観・人生観からたどり着いた話でした。
彼の仕事のやり方が、あまりに衝動的で、直感的で、好きだからやる、回収できるかはわかってないけどたぶん回収できる、みたいなことで。
実際に剛ちゃんが発した言葉を挙げると、こんな感じでした。
・目的のためにつくってきた手段ではない。
・「費用対効果どうですか」って言ってる人には一生わからない。
・好きをちゃんと追求して形にしていけばつながる、いつになるかはわからないし、ダメだったなってなるかもしれないけど。
・この仕事して7年だけど、やっと点が繋がってきてる。
・(先のことは)考えはするけど、行動原理としては、モチベーションとしてはそこじゃない。
僕もですが、誰より学生たちが面食らってました。フリーランスではなく、企業の一員です。少人数とはいえ。にも関わらず、「おれが好きだから」以外の理由なく始めたりすることが多いってのは、呆気にとられるというか。都度、社内で議論は起きてるみたいなんですけどね。
仕事をつくる
とはいえ、ミリアッシュも企業ですし、剛ちゃんも家庭ある大人なので、食べることを放棄しているわけではありません。好きなことから始めるけど、それで食べられるように、時に1からでも仕事をつくってるんだなと感じました。売れるからやるのではなく、それがしたいからどうやったらお金になるか考える。試す。
どのくらいの割合でそういう仕事があるのかはわかりませんが、彼にとって重要な一部で、なくてはならない一部だということはよくわかりました。
でも、そういうどこにたどり着くかわからずに、衝動的に、直感的に始まることによって、会社も個人も、想像を超える場所にたどり着いたりするんですよね。そういう例を、昨晩も剛ちゃんはいくつか紹介してくれました。
で、ここに僕は未来を感じました。もちろん、目的を持って、何かを解決しようとしたりするのも、もちろん素晴らしいことだと思います。否定するつもりはありません。しかし、それだけではたどり着かないこともある気がします。現に、失敗からとか、予期せぬ大発見みたいなのはよくありますよね。セレンディピティって言葉もありますし。
例えばSDGs。世界でいろんな人がこれを目標に解決を試みるのは素敵なことだと思います。でも、そうじゃない人がいていいし、そうじゃない人からも、結果的にSDGsを達成することが生まれたり。なんなら、そう人たちの方が重要で決定的なブレイクスルーのきっかけになったり、イノベーションの源泉になったりすらする。だって、SDGsって、むちゃくちゃ難易度高い目標ですからね。求められる創造性が著しく高い。そういうときこそ、そこに向かってない人たちから生まれるものがあると思います。
ちなみに、彼は「目的のためにつくってきた手段ではない」と言いましたが、よくよく振り返ると、彼なりの目的はあるとも言えるんだろうなとも思いました。〇〇さんと仕事したい、となればそれが目的で、そのための手段を考える。その目的が経済的な見返りではないというだけで、彼の目的はあるとも言えるのだと。理屈っぽく言えばですけどね。
目的か手段か、とかはどうでもいいのかな。とにかく、常識を疑うには十分な問いになりました。
グラフィックレコーディング by 工藤 颯莉
(1on1 college参加者の高校生です)
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台本のない対話の中で、偶然生まれた話でした。こんなことすら疑える余地があるって、僕自身が楽しかった。学生のためにと思ってやりましたが、想像以上に自分が衝撃を受けたトークイベントでした。
学生たちの反響はまたいずれ触れられればと思います。楽しんでもらえたかどうか…聞き始めているところです。
今日もありがとうございました。
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