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~随筆とは、生き様のタイムカプセル~

 日本三大随筆をご存知でしょうか。清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』、そして吉田兼好の『徒然草』です。それぞれ平安時代、鎌倉時代初、鎌倉時代末に成立したものであり、(3書とも通して読んだわけではないですが、)各筆者の時代の事物、認知、情感などを芳醇なまでに感じることができます。没入するというのでしょうか、実際、当時の風俗を知るという意味でも随筆は大変に重要な一次資料となっているようです。翻って現代、清少納言や鴨長明に代わる人は随筆家<エッセイスト>と呼ばれています。辻仁成、さくらももこ、五木寛之……。有名な名前を次々に挙げることができますよね。彼らの書いた文章は後の世で21世紀の我々がどう考えどう動いたかの記録として重要な価値を帯びるでしょう。随筆とは、その時代の人々の生き様を後生に届けるタイムカプセルと言ってもいいかもしれません。

 随筆の本質を、筆に随い著したもの、「心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつく」したものとすれば、それは必ずしも文筆家が紙に起こした文字に限ったものではありません。1人が1台ずつ(あるいはそれ以上に)コンピューターとカメラを持ち歩き、さらにそれらがインターネットを介してつながることにより、誰もが気軽に情報を送受信できる世の中になりましたが、世の人が思うままFacebook、Twitter、Instagramにつづった電子データも、随筆性を帯びていると考えてよいのではないでしょうか。

 小さい子どもを抱いて遊んでいるうちに、しがみついて寝てしまう、そんな光景を想像してみてください。かわいらしい、いじらしい、愛おしい。そう感じたはずです。「をかしげなるちごの、あからさまにいだきて遊ばしうつくしむほどに、かいつきて寝たる、いとらうたし。 」平安の才女と同じ感覚を持っているなんてロマンを感じませんか?随筆を通して1000年の時間が縮まったのです。私も1000年後の人たちと繋がりたい、1000年後の人たちも私たち1000年前の人と繋がりたい。そういう思いからこのnoteを始めます。


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