11/18「『論語』を読んで」
何年か前にも一度読んだ岩波の文庫本が、まだ本棚に残っていたので読み直した。
言わずと知れた中国の古典で、何千年も前に書かれた本らしい。それがずっと読み継がれ、語り継がれてきたものだと思うと、内容に威厳や説得力を感じる。
なんで昔の本に威厳を感じるのかというと、それは今よりも厳しい時代を生き抜いてきた人たちが残した言葉だからなんじゃないかと思う。実際に辛かったりしんどい状況に身を置いてきた人たちの言葉だからこそ、興味をそそられる。
儒教というと、なんだか道徳的で厳かなイメージがある。それも間違いじゃないのかもしれないけど、この論語を読んでみると、そういうのとは別に、孔子を中心とした周りの人間たちの、平和な言行録のようにも思える。
この孔子という人物は、とても人間関係を重視していた。生き方や世の在り方というものについて、ほかの人に関心を持ち、ほかの人から学んでいった人なのだと思う。だから、彼の話にはいろんな人のことが出てくる。
さて、儒教の教えは、家族に対する自然な愛情を、広く転嫁に及ぼしていけば、理想的な世の中が実現するはずだ、というものであり、その徳は仁といわれる。
その教えは、歴史の教科書には、「現実的で実用的」な教えである、という記述があった覚えもある。
この考え方は、僕は経験的に自然に受け入れられる気がする。僕は割と治安のいい地域で平和な学生時代を過ごしたのだけれど、この「仁」らしきものがいきわたっている共同体というものは、いいものだと思う。
この教えを実現する手段として、孔子は礼儀と音楽を挙げる。これらによって、仁徳を整えていくことが、大事だと。
そんなことが、前に読んだプラトンの『国家』にも書かれていたような覚えがあるけれど、これらのことが、教育の根本であると昔は考えられていたのかもしれない。
それを思うと、今の日本の教育というのは、科目の習得がメインであって、このような礼儀や雅楽についての教育というのは、副教科や道徳の授業、あるいはたまにある式典にちりばめられている程度であって、主要なものとはみなされていないんじゃないかと思う。
この孔子という人は、なんだか気難しくてわがままそうなところもあるけれど、この人の教えは僕は割と受け入れらるし、好きだなと思った。