5/23「神里達博『リスクの正体』を読んで」
岩波新書だ。新書にしてはすらすら読めた。国語力が向上しているのかもしれない。
引用も何もせずに、何か思い出したりして言えることを書いていく。
と言っても、どうにも思い出せない。やっぱり目次を参照する。第1章、感染症のリスク。
歴史とかを参照しながら感染症について考えておられた。
うーんそれ以上のことが思い出せない。読んでから4〜5日ぐらい経過してしまったのも良くなかったのかもしれない。
第二章、自然災害と地球環境のリスク。こんなの自分で、真面目に考えたことないなー。恥ずかしながら。
コレだけリスクについて不安に感じて、あれこれ考えられることが、才能だよなー、なんて思う。
うん、この章もそれ以上のことが書けない。
第三章、新技術とネットワーク社会。ブロックチェーンのこととか、人工知能のこととかが、あれこれ書かれていた。
リスクとは関係がないけど、技術革新が、世の中の動きの、最初だなー、と思う。そこから、文化も、社会も、経済も、変容していくのだと思う。
そういえば、世の中のどこかで、感情を持った人工知能が開発された、なんてことを噂で聞いた。本当だとしたら、キモチワルイことだと思う。それこそすんごいリスクじゃないだろうか、、、。知らんけど。
第四章、市民生活の「安全安心」。この章は一つ思い返せることがある。
安全と安心の違い、みたいなことが書かれていて、興味深かった。安全、というのは論理的な問題だが、安心、というのは心理的な問題である。
こんなことを昔悩んでいたことがある。父親の期待、というのが、現実的でないような気がして、父親の不安というものがまるで理解できず、鬱陶しかった。
それは、安全を提供できる選択だったとしても、安心を提供できる選択ではなかったのだ、と再認識した。
それと、この人はすごい知性を持った学者だなー、と、本を読みながら思っていたのだけれど、案外映画やドラマとかも見ていて、やっぱ一流はただのガリ勉じゃないんだなー、なんて思った。
第五章、時代の節目を読む。これとリスクとどういうつながりがあるのかよくわからない。それとこの章もいまいち特に思い出せない。
ただ、なんとなくこの章を読みながら、文化資本の大事さ、強さ、ということに思いを馳せた記憶がある。
頭脳明晰な人というのは、ある程度物事を先天的に予測することができるのだと思う。そういう人の書いた言葉や数字をたくさん読めば、出し抜けるじゃないか、なんてことが、この章を読んでいると実感できたのだ。
マジで全然内容に触れられなかった。新書から全然栄養吸収できてないんだなー、ということ感じました。