10/30「助言することについて」
相手のニーズ
本来、助言とは相手のニーズに合わせてするものだ。相手が本当に自分に対してアドバイスを求めている場合は、それを与えることは正当なものになる。
仕事の場面では、共通の目的があり、それぞれやるべきことが明確になっていることが多いから、助言を求めやすいし、与えやすい。それは、円滑に行われることが多い。
しかし、交友や愛の関係になると、ややこしくなる。それぞれの役割や期待されていることが、仕事に比べて曖昧だし、より強く複雑な感情の問題も絡んでくる。
自分の欲求
なぜこんな当たり前に思えることをあえて書いたかというと、相手のニーズに合わせてアドバイスを与えるということが、実際出来てないことが多いと思うからだ。
きっと人間には合理性や論理性よりももっと根元的なところに、人にアドバイスを与えたい、説教したい、それで自分がえらいのだということを感じたい弱い欲求があるのだろう。男の場合は特にそうだ。
しかし、その欲求を、求められていない相手にぶつけるのは、偉そうなことだ。そのうち嫌われるだろう。
土俵
だからといって、ほかの人に助言したいという欲求そのものを否定する必要はない。問題は、欲求の存在ではなく、関係性にあるからだ。
それはつまり、相手と同じ土俵に乗れているか、ということである。暴力は、道端で力を振りかざすから暴力なのであって、同じ土俵にさえ乗れていれば、取っ組み合いも正義なのだ。
個人はもはや人とかかわらなくても生存できるが、人とかかわらないと寂しい。つまるところ、コミュニケーションとは、欲求のぶつけ合いのことでもある。
まとめ
気持ちよく、欲求をぶつけ合えたらいいと思う。それができれば、もはや多くの「いやな仕事」も必要なくなるかもしれない。
その練習は、会社ではなく、もっと身近な人たちとのかかわりの中で、効果的になされるだろう。
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