どうやったら教員が増えるのか、人事の目線で考えてみました
いつも、こういった人事関係や経済関係の記事を書いており、教員不足がこのまま進むとまずいということも書いてきました。今回は、「では、どうすれば教員不足は解消されるのか」を考えていきたいと思います。
前提の確認
前提ですが、教員の人手不足は次の特徴があります。
・地域の偏在性があまりない
・小学校、中学校、高校とそれぞれで深刻な人手不足が生じている
つまり、「東京などの大都市では教員はたくさんいて、地方にはいない」ということではないわけです。教員が日本全国で不足しているということになります。
対策について
日本中で教員が不足しているなら、まず「教員になる人材」を増やさないといけません。しかし、もう一つ重要なことは「日本全国に設置されている国立教育大学の学生の半数以上が民間企業に流れている」、ということでもあります。本来は、教員養成のための期間であり、そのために税金を使って、教育大学を多くの都道府県に設置しているわけです。
なぜ教員にならないのか。理由としては、
・元々教員になるつもりがない
・教員の現場が過酷
・民間企業への就職は簡単で、かつ教員より待遇がいい
この3点でしょう。
教員になる気もないのに、なぜ教育大学に進学するのか?
実際、私の高校でも、教員志望ではないのに教育大学に進学した同級生は複数いました。その理由としては、以下が挙げられるでしょう。
・国立大学なので学費が安い
・教育大学でも、他の総合大学などと同様に就職活動できる(教育大学だから敬遠されることがあまりない)
・教育大学の偏差値がそこまで高くない
まず学費が安いことが一つです。そして、他の文系国立大学と同様に就職活動できますし、敬遠されることはありません。むしろ国立大学ということで、下手な文系私立大学に行くよりも優遇されることの方が多いです。そして、大きな理由が偏差値です。
教育大学が設置されるのは、比較的人口の多い都道府県になります。例として、北海道、宮城、東京、愛知、福岡などに教育大学があります。そういった地域では、教育大学は、最難関大学より低い偏差値のことが多いです。上記の5都道県の内、東京以外を例に挙げると、それぞれ旧帝国大学が設置されています。そして、それぞれの教育大学は旧帝国大学より偏差値が低いです。つまり、「学費が安く、国立大の中では比較的入学しやすく、就職活動でも損をしない」から、民間希望者も入学するわけです。
ちなみに同じような性格である医科大学(医師養成のための大学という意味では設置目的が似ている)では、このように多くの学生が民間に流れるということはありません。この点でも、教員養成、確保を取り巻く環境は特殊であることがわかります。
どうすれば教員になってもらえるのか?
仮にですが、教育大学や国立大学の教育学部に在籍している学生の多くが、教員になってくれれば、教員不足は緩和され、解決の方向に向かうはずです。その場合、2つの方法があります。
①教員にならない学生にペナルティを与える
例えば、教員にならない学生には金銭的なペナルティを与える方法です。看護学校などでは取り入れられていて、授業料を無償にするかわりに、数年は指定の医療機関で看護師として働いてもらうことを課しています。(授業料を支払えば拒否できる)。
また防衛大学などでも同様に、任官辞退した場合は授業料相当を支払ってもらうことが検討されました(防衛大学は現状は規定なし)。
ただ、こういった方法はあまり効果的ではないと言われています。まず憲法の職業選択の自由に反することから違憲扱いされる可能性が高いこと。授業料分(看護学校の場合は、3年など)の数年を働いたら、辞めてしまう可能性があることから、一時的な対策にしかなりません。
②教員になるメリットを増やす
例として挙げた医科大学では、なぜ同様のケースが起きないのでしょうか。理由として、
①医学部、医学科の学生は、民間企業への就職は敬遠される
②偏差値が高く、医師志望では無い者にとってコスパが悪い
この2点でしょう。
裏を返すと、医学部の定員以上に医師希望学生が多く存在しており、医師に興味のない国立に入りたいだけの学生にとってはコスパが悪いわけです。
つまりそれだけ医師という職業が魅力的であるということです。魅力を分解すると、
・高収入
・高ステータス
・社会への貢献性の大きさ
この3点でしょう。
元々、教員も医師に近い、高ステータスと社会への貢献性を持った職業でした。
教員の現状を変える
まず、収入という点では、教員は恵まれていません。残業代もつきませんし、公務員ですから大企業には及びません。
ステータスも年々下がっているのが実態です。モンスターペアレントとまではいかなくても、教員相手に無条件で頭を下げ、敬ってくれる保護者は昔ほど多くはないでしょう。むしろ、気を遣う相手があまりにも多いのが実態だと思われます。
貢献性という点でもどうでしょうか。今の保護者が教育現場に求めることは大きく2つだと思われます。
「社会性の獲得」
「偏差値の向上」
偏差値の向上については、塾などの民間教育サービスが充実した現在、学校の先生に頼る保護者は多くはいないはずです。
また社会性の獲得についても、難しいでしょう。競争を排除し、間違った平等性を求められており、本来の社会とは異なる社会性を教えることを至難のはずです。また、そういった実社会と乖離したことをしていること自体に、疑問を持っている教員もいるのではないでしょうか。
自分たちのやっていることが生徒のためになっていないかもしれず、いろいろな相手に気を遣い、頭を下げ、理不尽に耐える。その対価としての給与も高くない、となれば、誰もなりたいとは思えないでしょう。
そして、皮肉なことに国立の教育大学、教育学部生は、民間企業からは引っ張りだこです。大手企業に行けば、社会貢献性も感じられ、待遇もよく、充実した日々を送れる可能性が高いわけです。
変えるべきポイント
評価を変えるだけで、教育現場は変わると考えます。例えば、
・教員の残業時間(就労時間)が長い場合、管理職(校長、教頭)、教育委員会(委員長などの幹部)の評価を下げる
・いじめなどの対応が杜撰であれば、教員、管理職、教育委員会ともに評価を下げる
などです。
これだけでも物事は変わります。残業時間を減らそうとなると、教員の対応する付随業務(保護者への電話対応、夜間の見回り、地域の会合への参加)の削減を進めざるを得ません。教育委員会も自分たちの給与や賞与が下がるとなれば、必死になるでしょう。
付随業務を専門の担当者を雇用して任せる、そもそも対応するのをやめる。それだけでも教員の負担は下がり、本来の専門的な仕事に専念できます。
また単純に仕事を減らすだけでは、生徒へのケアもおろそかになる可能性があります。そのため、いじめ対応なども評価化するわけです。今もいじめで命を絶つ生徒が後を絶ちません。また、そもそもこういったトラブル対応をせず、見て見ぬふりをしていたという例も散見されます。こういった対応も細やかに行うためには、結果として、生徒のためにならない付随業務を減らして、時間的、精神的、余裕を作るしかありません。
公務員の働き方の見直し
私は、この評価だけで、物事は変わると思っています。公務員だとしても、仕事に評価を与え、それによって給与や昇給、賞与に差をつけることはあっていいはずです。(そもそも出世する人としない人がいる以上、公務員も日々の働き方、仕事の結果を評価されているわけです)
教員の現場でも同様に行い、賞与などで差をつけることがあっていいのではないでしょうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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