【 バイバイ、爺ちゃん 】
正月の昼下がり、じいちゃんが危篤状態に入ったというので面会へ行った。
モルヒネを投与したらしく、意識は混濁していると医師から説明を受けた。
ICUの扉を抜けると、白い大きな部屋に、呼吸吸気に繋がれた爺ちゃんがいた。
顔を覗き込むと、濁った黒目が少しだけ動いた。
でも、ほとんど反応はない。
部屋はとても静かで、ドア向かいのナースセンターで話す人の声だけが、ひっそり聞こえる。
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爺ちゃんは野菜を育てるのが好きで、毎年、畑の脇にトマトやきゅうりを育てていた。
どんだけ食うんだよってくらい、沢山育ていた。
3年前、僕が実家を継いだタイミングで、爺ちゃんは野菜の作り方を教えてくれた。
「もう畑に出てくる元気ないからさ」
そんなこと言って。
畝の作り方、苗の育て方、それらを全部教わった。
もうヨボヨボのガリガリで、歩くスピードも比喩でなく、亀みたいだった爺ちゃん。
あーだーこーだ言いながら、喧嘩しながら、二人で野菜を育てて、食べた。
その年を境に、爺ちゃんは畑に来ることはなかった。
畑に来なくなった爺ちゃんは、ほとんどの時間を家で過ごすようになった。
最初はテレビをよく見ていた。
だけど、耳が遠くなって、爆音でテレビを見ているのだと自分で気付いた頃から、テレビを見なくなった。
それからは縁側の日当たりのいい場所に座って、本を読んだり、うたた寝したり、そんな一日を過ごすようになった。
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盆の時期、爺ちゃんは毎年のように戦争の話をした。
自分の知らない時代の話。
戦時中、葡萄が潜水艦の部品になっていると知ったのも、爺ちゃんから教わったもの。
ぶどうをワインにする工程で酒石の結晶が現れ、それを石灰でどうにかすると、ロッシェル塩というものができる。
これが音波を敏感に捉える素材となり、潜水艦のソナー(音波探知機)として機能していたらしい。
当時、全国の葡萄農家は国の令によって、そうしたものを作っていた。
他にもいろんな話をしてくれた。
赤紙が届いて、お祝いされた事。本土決戦に備えて九十九里浜への出兵が決まった事。
汽車に乗る数日前、終戦を迎えた事。
いつの頃だったか、こんな事を聞いてみた。
「終戦の時ってどうだった?」
爺ちゃんは、ちょっと笑いながら
「毛布一枚だけ持って帰ったんよ。他のみんなはいろんなもの盗んで帰ったけど、俺は何もいらねえって、命だけで十分だって思って。」
と言った。
戦争を経験した世代の、セピア色した思い出と感情。
爺ちゃんはいろんな時代を生きてきた。
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去年の話。
いつものように爺ちゃんは縁側で本を読んでいた。
何読んでるんだろうと覗くと、自分が書いた本を読んでいた。
後から母親に聞くと、いつも読んでいるらしかった。
誤字脱字ばかりの、文字数がむちゃくちゃ多い、読みにくい本。
爺ちゃんはたまにこんな事を聞いてきた。
「今年はどっか行くのか」
耳が遠くなって、大声で話すことが億劫になってしまった僕は、旅の話をほとんどしなかった。
思えば、爺ちゃんは海外に詳しかった。
国の名前も、地理も、よく知っていた。
それも母親が言うには、亮が行った場所は全部地図で調べてるんだよ、って。
爺ちゃん、俺の話、たぶん、直接聞きたかったんだよね。
ごめんね。
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今朝の話。
爺ちゃんが、息を引き取った
96歳、大往生。
午前はもう泣き疲れて、午後は喪服探しへ街に出た。
こういう生き方をしているから(?)スーツもシャツもない。ユニクロには店舗在庫がなく、仕方なくスーツ屋に行くとその値段に驚いた。
「今欲しいカヤック買えるやん」
そんな事を考えてしまったら、もう選択肢は一つ。
実家に帰って箪笥を漁っていると、父親のお下がりを借りることになった。
ベルトとネクタイは爺ちゃんの箪笥から出てきた。
シャツは兄から。
靴は、下駄箱にあった誰のかわからんやつ。
家族は笑ってた。
「せっかくだから買えば良いのに」
僕は思う。
「せっかくだから、カヤック買うねん」
家族は、よく分かってない顔をしていた。
でも、爺ちゃんは、高い喪服の俺を見るより、カヤックに乗ってる俺の方が、微笑んでくれそうだから。
バイバイ、爺ちゃん。