返町亮
冒険していた頃のアーカイブ
誰でも筏は作れます。
文章長めのレビュー多し。
正月の昼下がり、じいちゃんが危篤状態に入ったというので面会へ行った。 モルヒネを投与したらしく、意識は混濁していると医師から説明を受けた。 ICUの扉を抜けると、白い大きな部屋に、呼吸吸気に繋がれた爺ちゃんがいた。 顔を覗き込むと、濁った黒目が少しだけ動いた。 でも、ほとんど反応はない。 部屋はとても静かで、ドア向かいのナースセンターで話す人の声だけが、ひっそり聞こえる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 爺ちゃんは野菜を育てるのが好きで、毎年、畑の
(どんなタイトルやねん。) 4年近く付き合った人と別れた。 ーーーーーーーーーーーーーーー 彼女と出会って約4年、僕は安定を手にした。 毎月の収入も、居心地の良い家も、心の拠り所も、あった。 なんとなく大人になっていく感覚が、なんとなく落ち着いていく感覚が、ハッキリとあった。 それが、望んでいたものかは別として。 結婚すると思っていたし、そんな話もしていた。 だが、別れを告げられた。 数日経っても消えない虚無感とふと襲ってくる淋しさ。 時間が解決してくれる
こないだ買ったばかりのスマホが畑で爆ぜた。 あまりの豪快さに清々しさすら感じる。 家に買って昔のスマホを取り出す。 なんとなく、過去の写真を眺めていた。 最後までスクロールするとパプアニューギニアの映像が出てきた。 見返すことのできなかった記憶。 静さんの映像もそこにあった。 記録されていた会話を3年ぶりに聞き直した。 僕は冒険をやめてから、パプアニューギニアに関して蓋をしている。 過去を振り返るのがそんなに好きじゃないから。 「昔はこんなことして楽しかっ
去年の暮れ、コロナに始まってコロナで終わった一年の終わりに、ある一冊の本が刊行された。 「デス•ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」 著者は栗城さん本人ではない。北海道のテレビディレクターが書いている。 今は亡き栗城さんへの、愛と憎しみ、憐れみと悲しみ、自責や執念の類。本書では、多くの関係者が多面的に栗城史多という人物を語り、徐々にその実像を浮かび上がらせる。 休み休み読んで7時間、酷く感傷的で強い倦怠感、凄まじい読後を味わった。 僕の知人の中には、これを取り上げて発
2015年の秋口だったと思う。 京都でやっていた、栗城史多さんの講演を聞きに行った。 5,000円した。 講演は、何度も何度も話をして来たのだろうなぁ、と思うほど、淡々としていて、笑い所も、泣き所も、全部が綺麗にパッケージされたような印象だった。 500人近いオーディエンスは、時に笑い、時に泣き、僕にとって単調に思えたその話を感情豊かに受け取り、最後は盛大な拍手によって幕を閉じた。 僕はというと、2時間ある講演の半分くらいから、ただただ足元を見つめていた。 悔しか
2014年、夏。 大学を卒業し、新卒で入った会社をすぐに辞め渡米し、帰国したタイミングで働きだしたのが穂高岳山荘だった。 たまたま、Facebookで流れて来た、知り合いの投稿を見たのがキッカケ。 アルバイト募集 お金稼がないとなあ…とすぐに飛びつき。 面接の電話で山登りの経験の有無を問われたが、正直、無いと答えたら落とされそうで怖かったけど、植村直己の話でどうにか山への熱を伝えた。 山が好きだった訳ではなく、ただ「何か」やりたい事を見つけるまでの、繋としか考えて
※前編はこちら。 セピック川に辿り着いたのはそれから3日後の事。 小さな村を繋ぎ、森の内側へと入って行く。次第に緑は濃くなり、山岳を少し越えると熱帯の気候に変化する。じめったい風が強く吹いた。 森が運ぶ爽やかで懐かしくもあるその風は、なんだか心地よさよりも「また帰って来てしまった」という後悔の念に近いものを感じさせた。 それでも、道中は森や川の情報をできるだけ集めようと思い、現地の人に話しかけた。 筏は見た事あるか。竹は自生しているか。川の上流部に行った事はあるか。
パプアニューギニアという国に行って来ました。 一ヶ月くらい、また筏を作って、向こうの川でも下ろうって。 −−−−−−−−−−−−−−−−− 2017年の暮れ、熊の観察員という特殊な仕事ををやってました。 三年後に北極圏の犬橇をやろうと思って、その為に必要なスキルの一つが得られる。今のタイミングだと思い、実家の果樹園をすっぽかし、北海道へ向かいました。 熊を観察する日々はとても面白く、毎年、こんな生活が出来れば、なんて考えもしました。それくらい、隔離された森の中は楽し
原作著者:遠藤周作 映画監督:マーティン・スコセッシ 島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける。 宗教史上の奇跡「信徒発見」 踏み絵、という単語を強く覚えている人は多いと思
ヤノマミ、それは人間という意味だ。ヤノマミはアマゾン最深部で独自の文化と風習を1万年以上守り続ける民族。シャーマンの祈祷、放埓な性、狩りへの帯同、衝撃的な出産シーン。150日に及んだ同居生活は、正に打ちのめされる体験の連続。「人間」とは何か、「文明」とは何か。 奥アマゾンで1万年にわたり独自の文化と風習を守り続ける人々、ヤノマミ。150日間におよぶ長期同居生活を綴った、震撼のルポルタージュ。 アマゾンの大地について 2012年と2016年、私はアマゾン河を手製の筏で下った
著:ジョン・クラカワー 1992年4月、ひとりの青年がアラスカ山脈の北麓、住むもののない荒野へ徒歩で分け入っていった。四か月後、ヘラジカ狩りのハンターたちが、うち捨てられたバスの車体のなかで、寝袋にくるまり餓死している彼の死体を発見する。 彼の名はクリス・マッカンドレス、ヴァージニアの裕福な家庭に育ち、二年前にアトランタの大学を優秀な成績で卒業した若者だった。知性も分別も備えた、世間から見れば恵まれた境遇の青年が、なぜこのような悲惨な最期を遂げたのか? 出色のノンフィク
1947年、戦争の記憶も新しいこの年、戦後の混沌とした世相に鉄槌を与えるが如く出された一冊の本がある。 当時、日本は敗戦という歴史的事象を飲み込み、過去英雄として戦争を生き延びた人間が闇市に堕ち、帰らぬ軍人を待ち続けた貞操ある妻は新しい男を迎え、日本帝国という神話は跡形も無く崩れ去った。 戦時中の美的な哲学は、ほんの少しの時間によって簡単に引っ剥がされたのだった。 そうした世間の大きな変容に「堕落」という言葉を巧みに使い、人はどう生きるべきなのかを指南した本が 坂口安
著:星野道夫 氷を抱いたベーリング海峡、112歳のインディアンの長老、原野に横たわるカリブーの骨――壮大な自然の移り変わりと、生きることに必死な野生動物たちの姿、そしてそこに暮らす人々との心の交流を綴る感動の書。アラスカの写真に魅了され、言葉も分らぬその地に単身飛び込んだ著者は、やがて写真家となり、美しい文章と写真を遺した。 アラスカのすべてを愛した著者の生命の記録。 星野道夫について 大学生だった頃で「旅をする木」という本に出会った。確かインドかそこらを旅した後のネ
著:ケネス・ブラウワー 父フリーマン・ダイソンは世界的な物理学者で、星への夢を巨大宇宙船オリオン計画やスペース・コロニーに託す。息子ジョージ・ダイソンは、17歳で家を出て、カナダ・ブリティッシュ・コロンビア沿岸の大自然の中での暮らしを選び、巨大なカヌーの建造を夢見る。 交わることのない父子の生き方の中に、技術主義、エコロジカルな生活様式、世代間の断絶など、1960〜70年代アメリカのさまざまな姿を浮かび上がらせたベストセラー。 フリーマンダイソンについて その名前を初め
「時代の転換期には詩人が現れる」全四巻からなるこの物語を、私は愛知に住む先輩から貰い、その先輩がたまにこの言葉を発していた。最初こそ、その心理というか意味が理解できなかったが、この本を読んだあとだとその言葉の裏側にあるものが読み取れる。 この本を貰ったのは2016年だったと思うが、人からいろんな本を貰いすぎて少し渋滞を起こし、結局、2017年の年の瀬に、パプアニューギニアにて読み終わる。 ニューギニアの冒険に行く前に書棚から本を選んで持って行くのだが、何十冊とある本の中で
このページに飛んできた人は、筏作りと下りに興味がある人です。なので、アマゾン川においての処世術を書き起こします。全部、自己責任でお願いします。 それではガイド、スタートです。 アマゾン川について 私は過去2度、アマゾン川筏下りに挑戦しました。2012年と2016年に挑戦し、計3000km程を超える行程を単独で。 たまにアマゾンに行ってきたと言うと「アフリカって危険なんでしょ…」って返しがあります。が、アマゾンは南米です。 全長約6000kmあり、ペルー・コロンビア・