まさにどうでもよい記事かもしれませんが、うちもいろいろカバーをしてるので、なんとなく、私の音楽的背景も、ざっくりと書いておこうかなとw。
YouTubeでは、クラシックロックばかりやってますが、実は、いろいろ聞いたり、やってきてるので(笑)。
まず、私は、多くの方のようには、子供の頃に音楽を聴いてませんでした。
ギターもギターをもらってギターを始めたんですが、それまで、音楽を聴いていた経歴がなく、いきなりギターを始めて音楽遍歴が始まりました(笑)。そのあたりのことは、別途、記事を既に書いてるんですが「そんなの読む人いるかな」と思い、丁寧に「下書き保存」されています(笑)
で、本題ですが、、、。
1.15歳の時にギターをもらって、ギターを始める。
(学校でいえば中3ですかね)これが86年くらいですかね。たぶん。
2.近所のレンタルレコード(CD)店で音楽を聴き始める。
初めの数か月は邦楽を聞いていましたが、当時流行っていたKUWATA BANDを聞いて、そこでカバーしていた曲の方に興味が行って「そのまま洋楽に」ってかんじでした。ですので、邦楽はほぼ知りませんし、その後も、聞いてませんでした。
※知り合いにビートルズ好きの方がいたので、ギター初心者の頃に一緒に弾いたりしていた。ただ、その頃からどっちかといえばストーンズ派でした。
3.当時全盛期であったLAメタルを中心にメタルを聞く。
LAメタルではないですがヴァン・ヘイレンとかですね。とりあえず、一通りそれらを聞き、同時に、来日時にはライブにもかなり行きました(仲間に「追っかけ仲間」がいて、よくそういうのにいっていたので、そのあたりも面白い話が結構あるんですが、それはまた、機会があれば書いてみようかなと)。
4.同時に途中から70年代のロックへ
まぁ、日本ではよくある話ですが、Zepとパープルですね。そのあたり中心にいろいろ聞きましたが、どっちかというと70’sのHRでしたね。
ですから、当初は、この辺りの音楽をやっていました。
5.17歳の時に始めたバンドの影響でストーンズ及び黒人音楽へ
88年くらいでしょうかね。ギター初めて1年半くらいでしたが、そこでストーンズのカバーバンドに参加し、初めてライブ演奏の経験をしました。このバンドは、その後、3年ほど所属しました。めちゃ濃いメンバーでした(笑)このバンドのメンバーからうけた影響は強いです。
メタルもまだやっていたいたものの、結構、急激にルーツミュージックにはまりました。
きっかけは、スティーブ・ヴァイ目当ててみた映画「クロスロード」の冒頭でかかったロバート・ジョンソンとそのままそれを引き継いで演奏されたライクーダーの演奏による(だったとおもう)カントリー・ブルース、デルタ・ブルースでしたね。これには超絶、衝撃を受けましたね。「なんだこれは」って感じで(笑)。
17歳の若造は「もうメタルに戻ることはない」と感じたことを覚えています(笑)。まぁ、いまではメタルもまた、聞いてますが、当時はそれほどの衝撃でしたね。
後は、同時期くらいだったと思いますが、ロン・ウッド&ボ・ディドリーのライブにいったのが大きかったですね。あれのロニーのギターにやられました。
まぁ、その後の数年は、ストーンズを中心に、ブルースとかR&Bとか、その手の音楽に影響を受けている60年代70年代のロックばかり聞くようになりましたね。当然、ストーンズの初来日は行きました。
黒人系ではまったブルースギタリストは書ききれませんが、結構、テキサス系が多かったです。ライトニング・ホプキンス、アルバート・コリンズ、ゲイトマウス・ブラウン書いていたらきりがない!。後は、マット・マーフィーとか、マジック・サムとか。でも、ロバート・クレイとかも好きだったかな。
その他、はまったのはエイモス・ギャレットとかロイ・ブキャナン!とかでしたね。あとはスティービー・レイヴォーン。
週末はセッションばかりいっていましたね。これで腕を磨きました。
同時に、レゲエもかなり聞いてましたね。世界の民族音楽を聴きあさっていた時期もあります。この辺りはライ・クーダーの影響からです。
6.20歳の頃に沖縄に
91年から93年。
どうしてもアメリカで音楽をやってみたくなり、その準備として沖縄に。
ギターとバンドはやってましたが、もともとメジャーデヴューとか考えたこともなく「デヴューを目指す」という価値観がなかった私(というか、この手の音楽にはまっていた私に、その道は1㎜もなかったと思います)は、普通、ミュージシャンなら東京を目指すところを、沖縄に行きました(笑)。
その後は、オールマン・ブラザースやサザンロックをすごく聞いてましたね。後は、リトル・フィートでしたね。これは、沖縄でのロック経験からの影響が強かったですね。私の地元大阪では、ブルース系は、結構、黒人の再現系のも多かったんですが、沖縄ではブルースといってもブルースロックだったんですよね。
しかし、沖縄のミュージシャンはうまかった。この頃、英語はまったくできませんでしたが、アメリカ人と演奏したり、アメリカ人しかこないような店で演奏したりしていた経験が今につながっていると思います。
91年20歳になったばかりの頃の映像はYouTubeに二本アップしてますが、あんな感じではありましたね。沖縄では、いろんなライブハウスでいっぱい演奏しました。面白かったですね。
その頃の動画です。
7.大阪に戻る。
その後は2年くらいは、同じ傾向でやってました。
8.クラシックに、、、。
その後、いろいろきっかけがあり、いきなりクラシックに移行しました。
なんで?と思われそうですが(笑)。
3万の安物バイオリンを買ってみてやってみたりしたこともありますが、さすがにやめました。私が楽器でためしてみて、弾けるまで行かずに辞めた唯一の楽器です。まぁ、続けていたら多少はやれたんでしょうが「これはいいかな」とおもってやめました。まぁ、あまりにも系譜が違いすぎますからね。聞くのは今でも好きですけど、やるのは無理かなとおもったので。
クラシックは、バッハとかマーラーとかが好きでしたね。後は、ワーグナーとか。
9.パットメセニーグループとの出会い。
25だか26歳のころ、たぶん、95年くらいだったでしょうか。メセニーグループと出会いこれははまりました。もう、完全に打ちのめされました(笑)。「なんだこの音楽は!」という感じでしたね。
ギタリストなのに作曲もすごいし、常に壁を突破している彼の姿勢も含めて、ほんとに尊敬してます。ただ、あれはあがめることはあっても、演奏は厳しいですね。まぁ、多少は曲によってはやれなくはないんですが、やってもしかたがないので、今のところは手を出していません。ただ、楽典とかはこの頃、やりましたね。
10.DTMを始める。
98年ころ、PCを始めた際に、あるきっかけで同時にDTMを始めました。
私は、ミュージシャンにしては、機械好きだったので、PCは相性も良く、すごく、はまりましたね。
この頃は、もうギターはほぼ弾いてませんでしたね。ロックもほぼ聞いてませんでした。この頃は、クラシックとJazzばかり聞いてました。別に嫌いになったとかではなかったんですけどあまりロックは聞いてませんでしたね。
11.音楽制作の仕事を始める。
2003年から数年位、DAWをつかって、アレンジとか、ミックスとか、マスタリングの仕事をしていました。この時代は、当時はやっていたような電子音楽系とかの音楽、シンセを使ってやるような音楽もかなり聴きましたね。
うちのチャンネルではクラシックロック系に振り切ったミックスをしてますが、その経験もあるのでそっち系のミックスも実はやれます。
まぁ、ローカルですがCM音楽とかもやったことはあります。
この時、初めての会社を設立してこの仕事をしていました。
この頃、奥さんと結婚しました。
それで、この当時くらいから、特に理由はないんですが、また、ロックも聞きだしました。
12.オーディオにはまる
その後は、2005くらいからでしょうかね、オーディオにはまりました。
それは別記事を過去に書いたことがありますが。
13.仕事として設備音響の仕事を始める。
2007年 今の仕事を始めました。2年後に法人化しました。
ここから10年は仕事ばかりしてました。ありがたいことですが、ほんとに忙しかったですねー。年の三分の一から半分くらいは出張ばかりでした。
14.ギター復活
はっきりとは覚えてませんが 2016年位だったかに、仕事の用事で楽器屋に行ったときにFractal AxeFX2XLをさわって「こりゃ面白いわ」となり、ギターを復活することにしました。
その時、うちの奥さんから「ギター弾いてるのかっこええな」と言われて、人生で初めて女性の気をひくためにギターが有効なのだと悟りました(爆)。
15.The Shine Light Respectを始める。
2017年年末ごろ、The Shine Light Respectで歌ってくれている男性二名のボーカリストから、ほぼ同時に頃に「バンドがしたいからやらない?」と言われて、始めることにしました。
まぁ、やりはじめると「こうなるだろう(歯止めなく仕事のようにやってしまうだろうとおもっていたので)」と封印していたのもあったので、ちょっと考えたのですが、やりはじめました。
で、歌の録音とかをしている際に、テストでうちの奥さんに歌ってもらったところ「なんかいけるやん」となり、彼女も3人目のボーカリストとなりました(笑)
尚、バンド名はストーンズのShine a Lightと偉大なミュージシャンたちへのRespectから、この名前にしました。余談ながら、「Shine Light」には「大家」という意味もあるそうですので、まぁ、良い名称だったなと思っています。
16.2020年YouTube開始。
約二年の準備をもって、YouTubeでの活動を開始しました。
これは、実際のライブはやはりバンドとしてやるのは大変だったので、せっかく自分には、機材も技術もあるわけだし、いわゆるバンドスタイルへのこだわりは捨てて、やろうとおもい、切り替えてそのスタイルで始めました。
私がギターをやめたのは、バンドでの演奏へのこだわりがあったからだったんですが、それをするとなると、なにもできなくなるかなと思い、これに切り替えました。
17.そして今後。
今後は、そうですね。せっかくここまでやってきたことだし、どうせなら、海外に行ってフルバンドで、海外のミュージシャン(楽器奏者)とも、実際に演奏して録音とかしてみたいですね。沖縄時代に、すでにやってはいるんですが、ちゃんとした記録としてはないので、まぁ、どうせなら、今の技術で、きちんと録音したり、ライブできれば面白いかなと思っています。
まぁ、これはいずれ実現できるかなと思っています。
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