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「健康寿命」だけが重要ではなかった…

人生100年時代。長生きはできるようになったが、新たな問題が。ありあまる時間をどう過ごせば幸せに老いることができるのだろうか。

この投げかけで一番気になったのが「ありあまる時間」という言葉です。老後を生きている人は、そう思っている人が多いのでしょうか? 

そんな事言われると、「時間は限られている」とか「人生は有限だ」という言葉と反対のような気がします。

ありあまる時間があると感じている高齢者って、本当にいるのでしょうか? ちょっと信じがたいです。自分に残された時間があとどれだけあるのか分からないわけですから、むしろ時間を大事に過ごしているのではないでしょうか?

と、書きながら思ったのですが、意外にそうでもないかもしれませんね。残された時間が少ないと感じれば、生きている間にあれしよう、これもしておきたいと行動する気がします。

と書きながら、やっぱり違うなと感じます。残された時間のことなんて、考えてない人の方が意外に多いのかなと感じます。

幸せな晩年を送るためにはなにが必要なのか―洋の東西を問わず、人間社会が長きにわたって向き合ってきた難問だ。

おカネは必要だろう。健康であることに越したことはない。ところが、健康であってもおカネがあっても、心の底に渦巻く漠然とした不安を抑え込むことができない。一体なぜなのか。

老いについて研究する老年学の世界で、この難問に対するひとつの答えが見つかろうとしている。本当に幸せな晩年を迎えるためには、「貢献寿命」が大切であることがわかってきたのだ。

知らないことがいっぱい出てきました。

まず、「人間社会が長きにわたって向き合ってきた難問」というところで驚きました。しかも「一洋の東西問わず」ということは、世界共通の難問だということです。そのテーマが「幸せな晩年を送るためにはなにが必要なのか」ということです。

「それは個人の勝手でしょ?」って私は軽く思います。何を持って幸せと思うかは一人一人違うんですから、それを難問だと言って研究しているということです。個人の思想に問いかけていかなければなりませんから、それは調査が大変なことでしょう。

さらに、「老いについて研究する老年学」という学問が存在することにも驚きました。どんどん研究発表していただいて、読んでみたいです。とても興味があります。

ここで「貢献寿命」という新しい言葉が出てきました。これもまた興味あります。詳しいことは明日書いていくことにします。


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