「杞憂(きゆう)」の話には続きがあった
杞憂とは「将来について、心配する必要のないことを心配すること」なの?
「そんなの杞憂(きゆう)だよ」という時に使われる言葉、杞憂です。
杞の国には「天が落ち地が崩れ、身のよせどころが何くなりはせんか」と心配する人がいたことから、「将来について、心配する必要のないことを心配すること」を杞憂と表現するようになりました。
中国の古典「列子」のお話から来ています。がしかし、なんです。
天地が崩壊しないとなぜ言えるのか? by 長廬子 ( ちょうろし)
「天が落ち地が崩れるなんて馬鹿げたこと」という話を聞いた哲学者の長廬子 ( ちょうろし)が笑って言います。長いので前半は割愛してます。
列子は言う「崩壊するかしないかは、われわれ人間には到底分かるはずはないのだ」
杞憂の現代の使われ方は「将来について、心配する必要のないことを心配する」という意味になってますが、列子に書かれている内容は異なります。
「天地は崩壊するかもしれないし、崩壊しないかもしれない。しかし、そんなことは誰にも分からないので、心を悩ましても無駄だ」と列子は言っています。
【龍成メモ(列子)】
習氏の新年挨拶動画(「習近平主席・2023年新年の挨拶」動画を観てみた)を観ていたら、列子の「愚公山を移す(愚公移山)」の話がありました。こちらに全文がありますが、中国古典にありがちな難解な感じはなく、どちらかと言えばマンガ日本昔話を少し高尚にしたような雰囲気です。
「高尚なマンガ日本昔話っていいかも」と思い、列子を買って読んでみたら、今回紹介した杞憂(きゆう)の話に出会いました。
古典から引用された言い回しにありがちなことですが、実際の話を読んでみると少し(かなり?)異なるのが面白いです。今回もそうですね。
そして哲学者・長廬子 ( ちょうろし)や列子の話に、現代物理学に通ずるものを感じてしまったのは私だけでしょうか。
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