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マトリックスと荘子、そして吉田兼好
青い薬を飲めば… 物語はそこで終わりだ。
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「青い薬を飲めば… 物語はそこで終わりだ。自分のベッドの上で目覚めて、そこからは自分が信じたいものを信じればいい。赤い薬を飲めば… 不思議の国にとどまることができる。このウサギの穴がどこまで深いのか見せてやろう」
映画マトリックスでモーフィアスはこのように説明します。
マトリックスの世界ではコンピュータが世界を支配していて、人間はコンピュータの動力源として培養されています。
「青い薬を飲めば… 物語はそこで終わりだ」というのは、(コンピュータに培養されている)シミュレーテッド・リアリティの世界に戻るということです。
人間は一生、自分がリアルな世界に生きてるという夢を、コンピュータによって見させられているということです。
赤い薬(Red Pill)を飲めば、コンピュータによって繋がれた状態から脱して自由に生きることができます。しかし、現実の世界ではコンピュータから逃げながら生きなければならないため、シミュレーテッド・リアリティよりも過酷で辛い日々が待っています。
覚めて後に其の夢なることを知る(莊子)
夢の中で酒を飲んで楽しんでいた者が、朝になると不幸な現実に泣き悲しみ、夢の中で泣き悲しんでいた者が、朝になると楽しく狩りに出かけるということがある。
夢を見ているときには、それが夢であることは分からず、夢のなかでまた夢占いをして、目が覚めてから初めてそれが夢であったことが分かるのである。
(人生も同じことだ)本当の目覚めがあってこそ、初めてこの人生が大きな一場の夢であることが分かるのだ。
それなのに、愚か者は自分で目が覚めているとうぬぼれて、あれこれと穿鑿(せんさく)してはもの知り顔をして、君主だといっては貴び、牧人だといっては賤しんで差別する。
固陋(かたくな)なことだ。
孔丘もお前もみな夢を見ているのだ。そして、わしがお前に夢の話をしているのも、また夢だ。こうした話こそ、それを名づけて弔詭(てきき)という(すなわちとても変わった話)。
この話の意味が分かる大聖人に(めぐり会うのはむずかしいことで)万代もの後に一度めぐりあったとしても、それは朝晩に会ってるほど(の幸運)なのだ。
【龍成メモ】
マトリックスを最初に観た時に「現代社会のほとんどの人は、メディアや巨大なシステムに価値観を押し付けられている。マトリックスに登場する人類のように、コンピュータに繋がれて夢の中で生かされてるのと同じだ。勇気を持って赤い薬を飲んだ人だけが、(洗脳から解き放たれて)自分の価値観を信じて茨の道かもしれないけど、自らの世界を切り開いて生きていける。そんなことをこの監督は観ている人に問いかけてるのだろうか」という感想を抱きました。
最近はランチの時に莊子を読んでますが、この「孔丘もお前もみな夢を見ているのだ」という言葉が、映画マトリックスと重なりました。
少し角度は違いますが、吉田兼好が徒然草で行っている「人間がいかに生きるべきかという、人生の根本を問い直す」という姿勢も、何か通じるものがあるのかもしれません。
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