【#16エルサレム】聖地・聖書•セキュリティ
ベン・グリオン空港に着いて入国審査を受けた。夜遅かったが、長い行列ができていて30分は待った。スマホをする余裕もなく、少しでも早く通してくれそうな審査官を探し、この人だと当たりをつけて並んだ。
短髪で白髪の優しそうな紳士だった。相当身構えていたが、質問は「イスラエルに来た目的は何か」、「初めてのイスラエルか」、「どこに泊まるのか」、「何日滞在するのか」、「仕事は何か」といった簡単なもので拍子抜けした。
2分くらいで終わって、俺の方が「もう終わり!?」と思わず尋ねてしまうほどだった。さらに、その後「イスラエルの物価は高いから大変だろうけど、日本も高いよね」と笑い話になるほど、和かな対応だった。入国できたとテンションが上がる。幸先良いじゃないか。
空港での現地通貨シェケルの引き出しも終わり、エルサレム行きの電車を待った。エルサレムに着くと、いつの間にか地下になっており、エスカレーターを4回も上がった。
驚くほど深い地下に到着したようだ。黒のシルクハットに黒ネクタイの背広を着た人たちを見た。ユダヤ教正統派の人たちだ。イスラエルに来たんだなと実感する。
エルサレムの駅から宿まで歩いて30分ほど。思った以上に街灯が設置されていて明るく、人も多く歩いており、車やバスも走っていた。22時なのに若い女性が一人で歩いているのも見かけた。
宿の付近まで着いたが、宿の場所が分からず困った。しばらく迷ってから、意を決して現地の住民に尋ねた。中年の女性はわざわざ宿まで連れていってくれた。イスラエル人の優しさを感じた瞬間だった。
翌日、エルサレムを散策した。エルサレム旧市街は八つある門からしか入ることができない。俺の宿からは西のヤッフォ門が近かったので、そこから入った。イスラエルの門の面白いところは直角になっていることだった。
つまり、入ったら右なり左なり曲がってから市街地に出る形状になっており、簡単に入れないようになっている。実戦的だと思ったし、エルサレムという街の歴史を物語っているように感じた。
旧市街の建物は薄いベージュ色で統一されていて、美しかった。ヤッフォ門を抜けるとすぐ目の前にはダビデの塔があった。紀元前20年にヘロデ王が建てたという。
それから、いまはイエスの墓があり、かつてはキリストが十字架にかけられたゴルゴタの丘があったとされる聖墳墓教会に行った。キリスト教の聖地だ。さすがに装飾やフラスコ画が優れていた。感動して泣いている女性もいた。
その後、嘆きの壁を見に行く。ローマ軍に破壊された神殿の一部で、ユダヤ教にとっての聖地だ。ユダヤ教徒が壁に手を当ててお祈りする姿や、壁の前に机と椅子を置いて静かに旧約聖書を読む姿があった。
嘆きの壁からイスラム教の聖地である岩のドームも見えたが、行き方がわからない。北にあるダマスカス門から近いかなと思ったので、ダマスカス門側から入ろうとすると、イスラエル軍兵士に止められる。
迷彩服に大きめの銃を下げていて威圧感がある。「今は閉まっている」とだけ無愛想に言われた。「じゃあどこから行けば良いのか?」と聞き返せる雰囲気ではなかったことだけはたしかだ。
岩のドームには明日行くことにして、東のライオン門から出て、外にあるゲッセマネに行った。イエスがユダに裏切られて捕らえられた場所らしい。ゲッセマネの教会の外観のフラスコ画は気に入った。
このほかにもイエスが最後の夜を過ごした場所に立っている鶏鳴教会や、イエスが磔にされるまで十字架を背負って歩いたルートであるヴィアドロローサもあった。エルサレムを見て回ると聖書ゆかりの名所が多く、聖書を読んでみたいという気持ちになってくる。
結局、岩のドームへ行くには下調べが必要だった。二日目に再挑戦。嘆きの壁近くにセキュリティチェックを受ける場所があり、そこを通過するしかないようだ。
現地での案内はなく、間違いなく調べておかなければわからない。岩のドームは、近くから見ると迫力がすごい。イスラムの青の紋様は何度見ても、振り返って眺めたくなる魅力があった。ここは、ムハンマドが昇天したというイスラム教の聖地でもある。
気温が低く、寒い。曇り空でいつ雨が降ってもおかしくないような天候。なんとなく市街も初日と比べると、活気がない気がした。また、旧市街は狭いと言われるし、実際徒歩で行ける場所に全てあるけど、石畳を歩くのは体力を使った。休憩場所もないので、ついつい歩きすぎてしまう。
正午には宿に戻り、少し休憩するつもりで共用エリアで欧州での宿の予約など事務作業をしていると、雨が降ってきた。これは観光は無理だなと思っていると、同じテーブルに座ったギリシャ人に話しかけられた。40歳くらいの男性。
ベトナムに長期滞在したことがあり、その経験から「ベトナムでは朝ご飯にとても時間をかけること」や、一方で「ギリシャでは昼ごはんがとても大事」という話を聞いた。
日本では晩ご飯を豪勢にするから食文化が違っていて面白いなと思った。名前を聞かれ、その由来も聞かれたので答えると、「でも、俺の名前には意味がないんだよ!」と言われ爆笑する。
ギリシャでは宗教的なことから名前をとったりするが、通常、理由はないらしい。デンマークでコンピュータ関係の修士号を取ったというだけあって英語は流暢だった。
周りには何人もいたけど、それに構わず相手の目をジッと見て畳み掛けるように大きな声で話す姿を見て、俺とは違うなと思った。俺はどうしても人目を気にして声が小さくなるから、こんな風にのびのびと振る舞えたら良いなと思わずにはいられなかった。
雨は降り続いており、共用エリアには多くの人が集まってきた。4人掛けの丸テーブルにはギリシャ人と俺の他に韓国人のおじさんも座ったので、その人も交えての会話となった。
あれだけ会話を独占したギリシャ人だったが、韓国人はさらに上手だった。宗教的な話になってギリシャ人にキリスト教のテキストを見せると、「これをやる」と言い始めた。
まだ二人で話しているときに、ギリシャ人は無宗教と言っていたので、当然断っていたが、韓国人はしつこく迫った。「バックパックに入らないので..」と歯切れ悪く断る姿が、さっきとはうってかわって面白かった。
その翌日、ギリシャ人は帰国した。明るく話好きというギリシャ人のイメージ通りの人だった。もう話せないのか思うと寂しかった。
夜になっても雨は降り続いていたが、近場でファラフェルというひよこ豆のコロッケを食べた。店内でイスラエル人の高齢女性と目があったので、ヘブライ語で挨拶した。最後に女性が出ていくときに何かをヘブライ語で言われたので、「日本人なんです」と英語で言うと、数秒考えられて「ウェルカム」と言ってもらえたのが印象に残っている。
イスラエル滞在は短期間だったこともあり、イスラエル人と話す機会は多くなかったけど、買い物をしている時もヘブライ語がわからず困っている俺に、商品について丁寧に教えてくれた買い物客もいた。イスラエル人は優しいなと思った。
ある日には、死海に行く予定だったので、外に出ると街が閑散としていることに気づく。シャバット(安息日)は金曜だったんじゃないのかと調べると、金曜の日没から土曜の日没までだと知る。
その日は土曜日だった。店は閉まり、交通機関も動かないので死海には行けない。落胆したけど、イスラエルらしい文化に直面したと思うと面白かった。
週に一回は仕事をせず、電子機器からも離れて、家族や友人などとゆっくり過ごすという伝統はとても良いと思った。
実際、エルサレムの街を散歩すると、公園で家族で遊んでいる姿や運動している人もいた。だから、俺もその日は、中東のデザートを食べたくらいでリラックスして過ごした。
イスラエルを出国する日、エルサレムから空港へ電車で移動した。車内では四人席に座った。あとから、斜め前にスカートをはいた眼鏡で美人の若い女性が座った。女性はボロボロの旧約聖書を口パクで読んでいて、その姿に強く惹きつけられた。
なぜなら、ユダヤ教徒ならば旧約聖書は聖典であり、何度も読んできているはずだ。それを改めて電車内で読む必要があるのか、それも口パクで読むってすごいなと思った。この女性の旧約聖書への絶大な信頼がうかがえる。
この女性も人生に迷うことがあるだろう。そのとき、流行りや周囲の評価、評判ではなく、旧約聖書に基づいて決断を下すんだろうなと思った。日本人にとってのそれはなんだろう?と考えたが、わからなかった。この衝撃から、俺は日本人として何が自分にとっての基盤になり得るかをよく考えるようになった。一冊でもいいから、そういう自分の血肉となりうる本を見つけたい。
出国審査では、セキュリティチェックが特徴的だった。機内手荷物の荷物を全てテーブルに出すよう言われ、審査官が棒状の機械でこする。それで危険物かどうか判断できるようだった。
人によってはかなりの時間がかかっていたが、空港側は全く気にしていない様子だった。イスラエル以外の国では機械に通してそれをモニター上で確認するという方法が主流だと思う。
ただ、このイスラエルのチェックを見ていると生ぬるい方法だったのかなと思ってしまう。手作業での確認は非効率だろうけど、テロ対策としては最適だ。安息日もあって、イスラエルでは効率性が必ずしも重視されていないことを感じていたので、このやり方に違和感はなかった。
イスラエルを出国できたときは正直安堵した。入国前から出国まで緊張し続けてきたから。何があってもおかしくない国だと思ってきたし、銃を装備した軍人を見るたび、精神的なストレスがあった。
でも、行って良かったし、今でもオリーブ山から見たエルサレム旧市街の絶景は忘れられない。そんなことを考えながら、テルアビブ発ローマ行きの搭乗を待っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!