いつか失われる物語の話【エッセイ】
短い雑記ですが、付き合っていただければ。
数え方に問題ないかどうかは不安ですが、いつの間にか投稿した小説が100本を超えていたみたいです。別に数を書いたから偉いわけじゃない。多作であろうが寡作であろうが、すごいひとはすごい。だけど私は大してすごくもないから、すこしだけ多く作品を書いてることが自信になっている。「お前の作品ぐらい誰でももっと書けるわ」なんて言わないでね。思っても、言葉にはしないでくれると嬉しい。
確認したところ、noteで350記事以上、書いているみたいですが、その八割近くは創作小説か小説のレビューということで、主戦場は〈小説〉と言っても反論は出ないのでは、と思います。
メタフィクションを扱った小説がいくつかあるので唯一ではないですが、先日投稿した私の、
という作品は、過去に書いた作品の中でもっともnoteでしか存在を許されない作品になりました。そこに書かれる悩み自体は普遍的なものかもしれませんが、書かれている内容は限定的で、まったく別の作品になるほど作り変えない限り絶対に他の場所には置けない。そもそも置く予定もない。もしnoteがなくなった時、この作品は間違いなく一緒に消滅するだろう。すくなくとも私はどこかに残そうという気持ちにはならないはずだ。
意識的に嘘をちりばめながら、意識的に隠していた本音もさらけ出しました。どこまで作者と作品を繋げるかは読む方の自由ですが、
〈noteと私〉をテーマにした小説なのは事実です。こればかりは隠しようがない。
実はこれまでエッセイの形でnoteやそのnoteにおける自分について書いてきたことは何度かありました。その文章は時に自分の書く小説以上に、多くの方の目に触れられ、好意的な言葉を寄せてもらえることもありました。よっぽど後悔する文章でなければ、好意的に受け取られることは率直に言って嬉しい。けれど嬉しさの中に引っ掛かりがあったのも事実だ。
自分のnoteでの主戦場は〈小説〉なので、
その想いは直接的な言葉ではなく、物語として昇華できなかったのだろうか、と思ってしまうのです。嘘に彩られた世界に添えられた真実ほど私の胸を突き動かすものはなく、たとえ拙くてもそれをしてやろう、と。それができていないことに、やっぱり小説好きとしては悔しい想いがあったわけですよ。
今後、似たような作品を描く可能性は低いですが、noteでの自身の痕跡を確かめながら、〈エッセイ〉ではなく〈小説〉として提示することができて、とても満足してます。
それを敢えてエッセイで書く、という暴挙に出たわけですが、だって仕方がないじゃない。あれこれ偉そうな言葉を並べ立ててはいますが、結局私は、それがどんな文章であろうと、書きたくなったら書いちゃう人間なので。
宣伝したくなったんだ~。
noteで小説を書いているひとは、ぜひ〈#noteと私〉で小説を一本書いてみませんか?
意外と書いてみると、お題としてもとても面白い。
書いてみたいけど思い付かない、という方は、
私の作品はnote内で楽しむ分には(悪用はダメですよ~)、文体模写、自分の作風にリライト、二次創作など基本的にすべてOKなので好きに使ってもらっても構いません。というか、逆に喜びます。
もし良かったら~。