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投資家も責任を果たそう

 新NISAに伴って資産運用が若年層に広がる流れは望ましいことだ。ただし“投資”の意識は薄いと感じる。「資産さえ増えれば何でもよし」とは言わないが、投資先企業に対する責任感はなく、そして意識づけの方法も整備されていない。

 この先、投資家が企業そして社会を壊してしまうといった懸念を抱く。社会を壊すとは極端な物言いではあるが、しかしながら現在はその道のりにある。ではどうすれば健全な道に修正できるだろうか。常識という蓋を外して発想を飛ばしてみたい。

投資家だけが優遇された資本市場

 個別株式への直接投資、または投資信託などを通じた投資と、投資家が企業の株式を保有する手段は一つではない。ただしどの手段であろうと投資家の責任範囲は有限だ。投資先企業が倒産して株券が紙クズになるのが現物投資における最大の損失であり、それ以上の責任を負う必要はない。

 それにもかかわらず、企業の中・長期経営を握る議決権を投資家が有しているとはバランスの悪い話だ。投資家は企業の未来を変え得る力を持っているのに、拠出した資金が蒸発するのみのリスクしか負っていないのだ。企業側は投資家の判断一つで働いている従業員や取引先などの未来を奪われてしまう。その損失は現在~未来に多大なる影響を与える。

 投資家が企業経営に物を言い、そしてリターンを要求するのであれば、無限責任とは言わないまでも相応の責任を負うべきではないだろうか。

無限責任だと誰も投資をしない?

 仮に投資家が企業の未来の損失をも抱えることとなったら、誰も投資などしなくなるだろう。未来の損失を抱える? 起業家のイメージだ。米国では失敗後の復活劇はよくある話だが、日本では一度失敗すると二度と立ち上がれないほどのダメージを受ける。個人保証然り。それを投資家も負えとは難しい話だ。

 では株式を分けたらどうだろうか。企業と共に生きリスクを背負う覚悟のある投資家には議決権あり(株主総会にての発言権)の普通株式を、純粋な金銭リターン目的の投資家には種類株式(優先株式)など議決権のない株式を振り分ける方法だ。議決権を有する普通株式の保有者は、企業が受ける損害賠償や未来の負債を背負う契約をする。無限責任が難しいなら部分責任でもよい。要は企業を金儲けの道具として捉えられないような制度があればいい。

 それだけのリスクを背負うのであれば、投資家は企業経営者に対する解任要求も過剰な言い分ではなくなるだろうし、また何かあったら企業に対する訴訟も辞さなくなる。同様に、企業の将来の夢を共に背負う気持ちも高まり…つまり企業に対して真剣に向き合うようになる。

 与太話はここまでとするが、上記の考えは投資家と企業のパワーバランスがそれだけ崩れていると言いたいことが発端だ。無限責任は非常識的であるなら、少なくても企業が投資家・株主を選べるような制度をもっと充実させるべきだ。株式の長期保有者への還元強化も是だ。それも検討外と言うなら、企業は非上場を目指す方がよいかもしれない。

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