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SNS、創作、空

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な、夏目漱石みたいな。。。。?

「創作」という仰々しい言葉を聞くと、そんな反応をしてしまう

生産する側であろうが消費する側であろうが、なにか才能や知識がある、特別な者だけが「創作」に関わることが許されてていて、「創作」と自分は隔絶されているという感触があり、それが一助となって権威性が保たれているようにも思える

たぶん、多くの人も心のどこかでそう感じているだろう

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でも思えば、Instagramのストーリーも、何かをツイートすることも、必要不可欠ではないのにも関わらず、自分の内にある思いを出力する、「創作」のひとつだ

そして、それを主体的にみるということは鑑賞で、現代において、そういう意味で創作はほとんどすべての人間に開かれていると言っていい

取り憑かれたかのようにほとんど全ての若者がSNSを使っている現代では、創作という言葉に特別感を抱くという感性とは裏腹に、むしろ病的に創作に関わる営みをしているんじゃないかとも思える

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物語の語り手がどんなに正直であっても、彼はもはや本当の姿のまま、それをわれわれのところへ持ち帰ることができなくなっているのである。われわれがそれらを受け容れるのに同意するように、彼はちょっとした手を加えて(中略)真の体験を型に嵌った絵で置き換えなければならないのだ。

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯Ⅰ』

生の体験を伝えることができないという問題を持っている「創作」は、それゆえに、いつしか創作者そのものを喰ってしまう

「創作」という表現方法を一度手にすると、世界の見え方が変容する

創作というアウトプットを前提として世界をインプットしてしまうからだ

つまり、実際の生活で遭遇する全てのものごとが「創作」のためのネタとなってしまう

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SNSが創作であるという前提に立つと、たとえばInstagramで映えるために興味のない美術館に行って、高そうな飯を食べる、というような行動をとり、それでいて創作に喰われているという自覚のない現代の人間は、創作することを自己の内面に既に含んでいる、紛れもない創作者であろう

そうなると、自らの身体の一部を切り離すかのような痛みを伴うので、創作を辞めることは難しい

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昨今、まるで悪かのように語られるSNS中毒者も、縛られていて不幸だが、甘美な響きすら持っている新時代の「創作者」であると考えると、面白い世界に住んでいるように思える

SNSを他の創作物と同じような観点で話すな、という感じではあると思うが、
かつての不良文化であった歌舞伎(意外だよね)が今では伝統芸能と呼ばれているように、少し前までオタク文化であったアニメーションが日本を代表する芸術に昇華しつつあるように、
まだ生まれたばかりで馬鹿にされているSNSも、人類史上最大規模の、万人に開かれた、権威性のない創作として後世に残っていくのかもしれないし、ひょっとすると、いつの日か権威性を帯びて、SNS鑑賞が高尚な趣味となるのかもしれない

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その一方で、SNSという創作で役に立つことを前提に作られた、用意されたものに囲まれて住んでいる感覚も拭い去ることはできない

SNS映えを前提に作られた商品、サービスを考えると、無数に思い浮かぶのがその証拠であろう

だから、どうしようもない反骨精神を持っている俺は、用意されていないし、創作で切り取ることもできない、空を、大地を、海を見に行きたい

ドラクエVIII?

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