「春の韻」 / 散文
した草の緑が萌えたつ。
そして気付けばそれらは風に立った波のように、辺りにこんもりと起伏を生み出し、生命とその力が溢れている。
空では燕が踊り、花は咲いて香り、散り、また綿毛が旅に出たりと慌ただしい。
すべてに動きが感じられる。
それはまるでたった一つの瞬きが世界をひっくり返すような、また点から生み出されためくるめくフラクタルな世界、そして何処までも広がりを見せる雄大な波紋...
そのようなイメージが現れては消える清明の頃。
時に風騒ぎ、春雷の轟き。
それなどもはや蠱惑的で、花の香りにつられて夜の辻をふらりと折れたくなるような、躍動する生命の微粒子を孕む夜風に包まれたくなるような...
惹きつける、そのような側面も確かに春は持ち合わせて。
春、その清明の頃にいつも浮かぶイメージがある。
「春」という名の面と装束とを纏った春の使者が、澄んだ川面に浮かぶ筏の上にひとり。
ゆうらりと、春の川下り。
風が戦がす装束の裾からは、桜花がひらひらと旅立ち、それには際限がない。
春の使者はゆったりと棹を繰り、川面の上を滑るように下ってゆくのだ。
望月の夜には棹を置き、鼓の音も冴え冴えに春を舞ったことだろう。
やがて使者が通り過ぎた辺りでは、開花を控えていたあらゆる花々が咲揃い、木々の若葉も鮮やかに、まるで初夏のような陽気に包まれはじめるのだ。
地に春の忘れ形見。
木々や電線の上に集う渡り鳥が、出立前に仲間と落ち合うように、ひとひら一片の花弁も身を寄せ合い地面を染めていた。
やがて花弁は地から水面に溢れ落ち、風に寄せられて筏となる。
春の使者を乗せる花筏になるために、ひとひら一片が意志をもって集っていたら -
それは春の夜風のように、少しヒヤリとして魅力的な空想であった。
春の使者は通り過ぎ、後ろ姿となる。
その後ろ姿も次第に小さくなり、春が舞台の袖に隠れようという頃合い。
やや向こうの方に、颯爽とした夏の使者の姿を小さく認め始めることだろう。
滔々と地下を旅してきた水が、一度地上に現れ、また地下へと潤いを運んでゆく。
春の使者を乗せた後、再び地下へ戻る水は、その中に春のエッセンスを忍ばせていっただろうか。
のらり くらり と春の韻
ひらり ひらりと 風に乗り
するり はらりと すり抜ける
はて 未だ開かぬ花はないか
あの地の片隅にも 萌え出たか
さらり ふわりと 風が触れ
ゆるり ゆらりと 川下る
季節というものは、手中や懐中に留めておくことは叶わぬわけで。
毎年のように、密かに春の使者の後ろ姿を名残惜しげに眺めてしまうものである。
小さくなる、春の使者の後ろ姿。
今年の春は...何を土産に携えていっただろうか?
2022年4月19日
清明の終わりの日によせて