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25歳の遺書

こんにちは、りょーたです。
今日は自分の話です。

25歳になって、気づいたら4ヶ月。

25歳。

人生の四分の一を生きたと言われるこの年齢は、「大人としての自覚」 と 「まだまだ未熟な自分」 の狭間で揺れる時期だ。

社会に出て数年、仕事にも慣れ、それなりに生きる術を身につけたはずなのに、時折 「これでいいのか?」 という疑問が頭をよぎる。


今ここで「遺書」を書く理由は、「死」を意識しているからではない。

むしろ、「生きているうちに残しておきたいこと」 を整理するために、この言葉を綴る。


周りを見ると、早々に自分の道を決めて突き進む人もいれば、一方で迷いながらも充実している人もいて、それぞれのペースで大人への階段を上っているように見えます。子どもの頃に想像していた「25歳の自分」と、実際に今ここにいる自分。そのギャップを埋めようともがきながら、この文章を綴っています。



◆ 1. もし今日が人生の最後だったら?

「今日が最後」と思えるかどうか

「もし今日が人生の終わりだったとしたら、今の自分は何を思うだろう?」
そんな質問を自分に投げかけると、多くの場合、やり残したことや、まだ言えていない想い、先延ばしにしている行動が頭に浮かんできます。たとえば

  • あの友達に「久しぶりに会おう」と言いたかったのに連絡していない

  • 親にちゃんと「ありがとう」を伝えられていない

  • ずっと趣味にしたかった〇〇を始めていない


そんな小さな「後悔のタネ」が、意外なほど心の奥に溜まっていることに気づきます。でももし、そこにもう少し違う視点を加えるとどうでしょうか。

「やり残している」のは悪いこと?

「やり残しているからダメ」というわけではなく、それだけ“自分にはまだやりたいことがある”ということの裏返しでもあります。もし本当に「全部やり切ったな」と思えたら、それはそれで素晴らしいですが、人間は欲張りな生き物だし、「今できることは全部やった」と言い切れる人はごくわずかでしょう。私自身も、「まだまだ達成していないことだらけだ」と感じています。

だからこそ「今日が最後だ」と想定するのは、決して悲観的になるためではなく、やりたいことや、いま取り組むべきことを浮き彫りにするための方法なんです。

「今」をより濃く生きるための問い

「死」を想定することは、裏を返せば「生きる」ことを際立たせる行為です。25年生きたからこそ、ここから先どれだけ時間があるか分からない。だからこそ、一つひとつの選択を曖昧にしないで、「本当にやりたいことなのか?」と問い続ける。その結果、「また今度でいいや」と後回しにしがちな行動を、少しでも前倒しにできるかもしれません。

◆ 2. 25年間で学んだこと

ここからは、私がこの25年間で学んだと感じる3つのことについて、もう少し掘り下げてみようと思います。

① 人生は思ったよりも短い

学生の頃、特に中学生や高校生のときは「1年がめちゃくちゃ長い」と感じていました。それが大学に入り、バイトやサークルに夢中になっているうちに4年間があっという間に過ぎ、気づけば社会人。さらに新卒で社会に出てからの数年間はさらに速く感じられます。下手をすると、朝起きて夜帰宅して寝るだけで一日が終わり、「あれ、もう1週間経ったの?!」と驚くのが日常茶飯事に。

振り返ると、「あの頃は夢ばかり描いていたなあ」と懐かしく思う反面、「もうあれから○年経ったのか」と計算して驚くこともしばしば。つまり、人は「まだ若いから大丈夫」と思いながらも、気づけば時が加速しているように感じるもの。今25歳だとして、次の25年後には50歳。その頃には「気づいたらもう50歳か…」となっている可能性が高いです。

だからこそ、この先も同じように時が過ぎるなら、「本当にやりたいことを、少しでも早く始めたほうがいいんじゃないか?」と考えるきっかけになります。

② 何かを得るには、何かを捨てる必要がある

小さい頃は「夢は何でも叶う」という言葉を信じていました。もちろん、努力次第でいろんなことは実現できるとも思います。でも、社会に出るとすべてを同時並行で叶えるのは難しいと痛感する瞬間が増えてきました。

  • 仕事を頑張りたい → 自分の自由になる時間が減る

  • 恋愛やパートナーシップに力を注ぎたい → キャリアを優先しづらくなる場合がある

  • お金を貯めたい → 遊びや趣味にお金を回しづらい

こんなふうに、「優先順位」をつけざるを得ない状況は多々あります。つまり「何を得るか?」は「何を捨てるか?」と表裏一体なんです。もちろん、要領の良い人は両立させたり、多角的にチャンスを拾ったりするかもしれません。でも、それでも“時間”と“体力”には限界がある以上、自分のリソースの使い方をよく考えないと、どこかで大きな疲弊や中途半端さを感じるはずです。

だからこそ、いま一度「自分が本当に大切にしたいものは何か?」を考える必要があると思います。25歳というタイミングは、社会経験を数年積んで、なんとなく仕事やお金の動き方が分かってきたからこそ、自分の優先順位を見直すチャンスかもしれません。

③ 他人はそこまで自分を気にしていない

学生時代は友達やクラスメイト、バイト先やサークルの先輩後輩との人間関係が、自分の世界のほとんどを占めていました。「こんな話をしたり、行動したりしたらどう思われるかな?」とビクビクしていたこともあります。でも、大人になるにつれて思い知ったのは、結局「他人はそんなに自分を気にしていない」ということ。

これは決して「誰も自分のことを見ていない」というさみしい話ではなく、どちらかというと「意外と失敗しても、みんなそこまで覚えていないし、関心も薄い」ということです。自分が考えるほどには周囲は気にしていない。考えてみれば当然で、他人も自分と同じように自分の生活を送るので精一杯なんですよね。

そう考えると、ちょっと恥ずかしいかなとか、周りにどう思われるかなと深く気にして始められなかったことに踏み出しやすくなります。「自分なんて大したことないから…」と一歩踏み出すのをためらってきたことがあるなら、ぜひ挑戦してみるといいと思います。

◆ 3. もし25歳で終わるなら?

ここであらためて問いかけたいのが、「もし本当に25歳で人生が終わるとしたら、何を一番後悔するだろう?」ということ。想像したくはないですが、私たちの人生はいつ終わるか本当にわかりません。大きな病気や事故に巻き込まれる可能性だってあります。

  • 親に感謝を伝える機会を逃していないか?

  • 本当にやりたいことがあるのに、行動に移さずに終わっていないか?

  • 好きな人がいるのに、思いを伝えぬまま後悔していないか?

こういった疑問を思い浮かべたとき、もし心のどこかで「やばいな、まだ何もできてないかも…」と感じるなら、まさに今が行動すべきタイミング。逆に、「いや、そこそこやれてるし、満足だ」と思えれば、きっと今の生き方にある程度納得しているのでしょう。いずれにしても、「終わり」を意識することで、今の自分の人生を俯瞰できるのは確かです。

◆ 4. これからの人生に向けて

では、25歳で一度「遺書」という形で自分を振り返ったあと、どのように生きていけばいいのでしょうか? 私なりに考えるポイントを挙げてみます。

✅ 「今日が最後だったら、何をしたいか?」を考えながら生きる

毎朝起きるたびに、あるいは何か大きな決断を迫られたときに、「もしこれが人生最後の日だったら、自分はこの選択を後悔するだろうか?」と考えてみる。それだけで優先順位が変わるかもしれません。もちろん現実的には仕事の都合やお金の問題など、すべて理想通りには動かせないこともあります。しかし、それでも「一番大事にしたいものはどれだろう?」と考える癖をつけると、案外すんなり決断できる場面が増えるはずです。

✅ 「また今度」ではなく、「今やる」精神を持つ

仕事や勉強に追われると、「あれは今度の休みにまとめてやろう」と思いがちです。でも、実際には「今度」は永遠に来ない場合も多い。友達に連絡を取るのも、「暇があったら」ではなく「今日少し空き時間ができたから連絡してみよう」でいいじゃないか。小さな行動ほど、すぐにでも始めやすいので、先延ばしをやめる意識を持つだけでもだいぶ違います。

✅ 大切な人には、ちゃんと言葉で気持ちを伝える

親やパートナー、友人など、本当に大切に思っている人にこそ「感謝」や「愛情」を伝えそびれることって多いですよね。特に日本人は、照れ臭さから「言わなくても分かってくれるでしょ」と思いがち。でも、言葉で伝えられたら、相手もやっぱり嬉しいんです。自分が逆の立場なら、なおさらそう感じるのではないでしょうか。いつかは必ず別れが来る。そのときに「もっと言っておけばよかった」と思うなら、今やるべきですよね。

◆ 5. 25歳の遺書 – まとめ

ここまでいろいろと書いてきましたが、要点を整理すると、次のようになります。

  1. 人生は思ったより短い
    → だからこそ、やりたいことは早めに始めたほうがいい。

  2. 何かを得るには、何かを捨てる必要がある
    → “優先順位”を意識し、自分にとって本当に大切なものを選択する。

  3. 他人はそこまで自分を気にしていない
    → 周りの目を過剰に恐れず、挑戦するなら今しかない。

  4. もし今日が人生の終わりなら、どんな後悔がある?
    → 親への感謝や、本当にやりたいこと、大切な人への気持ちを先延ばしにしない。

  5. 「遺書」は、生きるために書くもの
    → 自分が今どんな想いで日々を過ごしているかを整理し、未来に向けて覚悟を決める。

25歳というタイミングは、人生を大きくシフトする一つの節目だと思います。学生時代は終わり、社会で自立して働く数年を経験し、「自分の立ち位置」がぼんやりと分かってきたころ。そこから先は、ただ流されるように働くだけでは物足りなさを感じるし、かといって大きな変化を起こすのも怖い。ちょうど「大人としての自覚」と「まだまだ未熟な自分」の狭間で揺れる時期でもあります。

だからこそ、一度「もし自分が今日で終わるなら?」と考えてみる。これは暗い気持ちになるためではなく、“今をどう濃く生きるか”を思い出すためのワークです。

  • 後悔しない選択をする

  • 後回しにしないで、行動してみる

  • 大事な人への想いは言葉にする

これだけでも、人生の質は変わってくると思います。私自身、この文章を書くことで、いろんなことを先延ばしにしてきたことに気づきました。そう気づけただけでも、この「遺書」を書いた意味があるように思います。


◆ おわりに ー「生きているうちに、ちゃんと生きる」

これは、今の自分が未来の自分に向けて綴った一通の手紙のようなものです。
「25歳」という節目に書いた「遺書」ではありますが、実際には「生きるための宣言書」みたいなもの。

よく「人生100年時代」と言われますが、それはあくまでも平均値の話であって、個人の人生がいつまで続くかは誰にも分かりません。もしかしたら突然終わるかもしれないし、逆に想像以上に長生きするかもしれない。いずれにせよ、「今」をどう生きるかが大事だと再確認するために、この“遺書”を書きました。

  • やりたいことがあるなら、とりあえず小さく始めてみよう。

  • 大好きな人がいるなら、相手に自分の気持ちを伝えよう。

  • 親や家族、友人への感謝を、照れずに言ってみよう。

  • 仕事やお金も大事だけど、自分にとって何より大切なのは何なのか、見失わないようにしよう。

25歳はまだ若い、だからこそ怖いもの知らずでいられる部分もあるし、失敗しても取り戻せる余白が多い時期だと思います。でも一方で、「若いからこそ何でもできる」と無邪気に思っていられるほど、時間は実は長くありません。だからこそ、いまから少しだけでも勇気を出して、未来の自分に「よくやった」と胸を張れるような選択をしていきたい。そんな決意を、「25歳の遺書」と名付けて書き残したかったのです。

人生をどう捉えるかは人それぞれ。ゴールをどこに設定するかも自由です。ただ、“終わり”を意識すると、いま“ここ”でどんな種をまくかが見えてくるのは確か。目を背けたくなることもあるかもしれませんが、ぜひ一度、自分にしか書けない「遺書」を頭の中でシミュレーションしてみてください。きっと驚くほど、やりたいことや言いたいことが思いつくはずです。

「遺書」は、今をちゃんと生きるために書くもの。
これからの人生を、少しでも後悔の少ないものにするために、今日も一歩を踏み出していこうと思います。


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りょーた|ライフハック4.0
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