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せいやの「今」2020.12.26
実はずっと思っていたことがある。
「自分には周りの人のような苦労話がない」
と・・・。
ほとんどを「弱音」や「逃げ」で生きてきた。周り
に守られてばかりだった。そんな気がしてならな
かった。そんな思いのまま書き殴った文章です
が、良かったら読んでください。
1992年の12月に、僕は産まれた。身長33
cm、体重1700kg。いわゆる「未熟児」だった。
それだけでなく、産まれたとき僕の右手と左足に
は血液が通っておらず、腐りかけていたそうです。
母親のお腹の中で僕は、へその緒を右手首と左
足首に巻いてしまい、身動きが取れない状態に
なっていた。その血流の悪さが原因なのか、脳、
目、耳、心臓、肺など、全身11箇所の病名がつい
ていたそうです。(今はほとんど完治しています)
後に見た母子手帳にびっしり書かれた発育につ
いての内容から、そのときの大変さが痛いほど伝
わりました。へその緒を巻いていた右手首と左足
首は、幸いにも切り落とさずに済んだものの、手
首足首には大きな縫い目があり、右手は発育不
足で変形していた。
物心ついてから、小学校、中学校、高校と過ごし
てきましたが、変形した右手が原因でいじめを受
けることもあまりなく、友達や4つ上の姉が守って
くれていました。
僕自身の性格は天真爛漫というか、好奇心の塊
というか、動いていないと気がすまないといったよ
うな少年青年時代をおくっていました。
その後は大学には進学せずに就職を選び、その
会社はあと数ヶ月で勤続10年となります。その
約10年の間、色んな事がありましたが、楽しく働
かせていただいていました。
しかし、入社5年目くらいからある違和感があり
ました。
「この会社で働くのはなんか違う気がする」そう
思うようになりました。
そう思ってからはモチベーションも下がってしま
い、上司や先輩からの仕事の依頼も「依頼」で
はなく「丸投げ」になっていきました。
(そう気付いたのは数年経ってからでした)
自分なりに必死に働いていましたが、年数を重
ねるごとに年度末の仕事が耐えられなくなってき
ていました。そして2018年3月下旬の午前。
その日も次々と依頼が降ってきて、必死に対応し
ていました。
しかし、急に頭が真っ白になり、完全に思考が停
止してしまったのです。目の前で起こっていること
の意味が分からなくなり、たまらず医務室に駆け
込みました。
(実はこの1ヶ月ほど前、会社の屋上や駅のホー
ムから何度か飛び降りて楽になろうと思ったこと
もありました。家の中で叫んで暴れたこともあり
ます)
そして医務担当の方に今の状況を説明していた
ところ、突然涙がこぼれ、止まらなくなりました。
その日初めて、会社で泣きました。少し落ち着い
てから話を再開し、途中上司にも来ていただき
3人で話していました。
そして医務担当の方から、「心療内科に受診した
ほうが良いかもしれない」という提案がありまし
た。上司にも勧められましたが、当時の僕は「大
丈夫!まだ出来ます!」と言い張りました。
自分が受け持っている業務に穴は開けられない
と思ったからです。しかし、一度診てもらったほう
が良いという強い勧めもあり、午後から休暇をも
らい、心療内科を受診しました。
名前を呼ばれ、診察室に入り、先生に今の状況
を話しました。先生はこう言いました。
「心が疲れちゃっているね。このままだとうつ病に
なるよ」と。信じられませんでした。僕が、心の
病?うそだろ?僕は先生に言いました。
「しかし、年度末で仕事も抱えていますし、休むわ
けには!」
「そうやって頑張ってうつ病になった人を私は何
人も見ています。今のうちに休んでください」。先
生は語気を強めて言いました。
そして僕は診断書に「適応障害」と書かれ、2ヶ
月の休職をすることになりました。
最初の1ヶ月間は自分を責め続けました。「仕事
ができない自分に価値なんてない」。本気でそう
思っていました。両親も姉も、大変心配していまし
た。
後半1ヶ月には、休養中なんだと自分をなんとか
受け入れることができました。しかしそれと同時
に、外に出ることが出来なくなっていました。玄関
のドアを開こうとすると手が震え、吐き気に襲わ
れました。
徐々に体を慣らすために、玄関を出て数歩歩く事
から始めていきました。残りの1ヶ月でなんとか
10分くらいの散歩が出来るようになりました。
休職期間の2ヶ月が過ぎようとしていた頃、上司
から連絡がありました。「休職期間が長引くと、
後々職場復帰が難しくなるだろうから半日から
でも出てこないか?」と。
このまま職場復帰が出来ないことに恐れを感じ
た僕は、休職の延長をせずに、次の月から半日
仕事をすることにしました。2ヶ月のブランクは思
ったより感じず、自分なりに仕事をしていました。
半日を1ヶ月継続し、1日仕事に切り替えて数日
経った頃、上司に呼び出されました。
「職場復帰してくれたのは嬉しいけど、もっと
仕事量増やせないの?」その言葉がきっかけで、
僕はまた1ヶ月の休職をすることになってしまいま
した。上司の言葉に、心が耐えきれませんでし
た。
そして2019年。1ヶ月の休職から復帰して、今ま
でと同じようにとはいきませんが、この1年間はま
ずまず順調に仕事をしていました。
しかし2020年9月、3度目の休職をしてしまい
ました。原因は、精神状態の悪化。
どうしても復帰することが出来ず、現在2020年
12月26日まで、仕事をお休みしています。
ひとつの病名に1度しか使えない「傷病手当」の
申請もしました。正直、「仕事をしていない」とい
う事実が僕をジワジワと侵食し、精神を傷つけて
います。
僕と同じような思いをする人が世の中にはたくさ
んいる。テレビの情報番組やネットで検索すると
強く思います。
何か役に立ちたい。そう思い、今はまず自分と向
き合い、気持ちを整えることから始めています。
Twitterのフォロワーさんに協力していただき、
コンサルも受けています。
色々と書き殴りましたが、何が言いたいかという
と。我慢しないでほしいのです。
自分の心を押し付けてフタをしていると、自分は
何がしたかったのかが分からなくなっていきま
す。
他人のための人生を送ることになります。せっか
くこの世に産まれたのなら、自分の人生を生きた
い。生きてほしいと思っています。
僕に何が出来るのかなんて分かりません。ただ、
なにかしたいと思っています。僕はこれからも、
自分が何をしたいのかを見つめていきます。
あなたも、自分が本当は何がやりたいのか、見つ
めてみませんか?
読みにくい文章を最後まで読んでいただき、あり
がとうございました。
せいや。