Miquel Barceló ミケル・バルセロ展

東京オペラシティアートギャラリーにミケルバルセロ展を見に行った。企画展に行く時はなるべく予習をするようにしているけど、当日の午前中とかにググろうかなとか考えていたら思ったより記事が出て来ず、手持ちの本にもめぼしい記載がなく、「自然からのインスピレーションの人」「画家と自称しているが制作物のジャンルにこだわらない人」という印象を持ったのみで向かうことになった。が、それでも十分楽しめる展示だった。
印象に残った作品と感想を記載していくが、海に絡んだ作品が一番好きだった。彼の出自が作品に特殊なパワーを与えているのかも知れないと思った。

『不確かな旅』
最高によかった作品。全展示のなかで圧倒的にこの作品が好きだった。
テラテラと黒光りする海に浮かぶ、朧げな小舟、朧げな乗組メンバー。彼らは明るいところを目指しているのだろう(作品の景色で視点から最も遠い場所は水色に澄んだ空)が、その旅があまりにも過酷なことが作品全体から滲み出ている。ボートは木製なのか銅のメッキが塗ってあるのか、ギラギラと輝く茶色をしており、全体はしかし黒い霧に遮られ朧にしか目視できない。黒い水面に浮かぶきらきらしたもの、という対比が小舟のfragileな印象を際立たせている。
乗り合わせている人々の描き方が素晴らしくよかった!そもそも乗っているのは「人」なのか?彼らは何を思っているのか?どこを見ているのか?それらが何もわからず、人なのか幽霊なのかも怪しい手段が、小舟の中でひしめいている。顔と思しき部分は誰も彼もバラバラに俯いていて、こんな状況でも結局ひとり一人なのだという印象を痛烈に植え付ける。死の気配濃い海に漂う野生の首吊り縄が、乗船車のひとりに今、絡みつこうとしている。
絵の具チューブをキャンバスにぎゅっと押し付け、そのままにゅっとチュー美を話してできたような絵の具の痕跡が、それらの人型のようなものを描き出していて、近くで見れば見るほどに人間にようには見えなくなっていくのが面白かった。そんな朧な人間と、妙にツルツルとした銅のボート(あの冷たい印象が銅に思えてならない)の対比も面白かった。絵全体から漂ってくる、どうしようもない孤独感、寂寥感、大自然の厳しさ。とにかく素晴らしい作品だった。

『時を前にして』『飽くなき厳格』
先程の不確かな旅の作品と同じエリアに展示されていた2つの絵画作品。キュレーターやディレクターの人はどうやって作品の配置を考えるんだろうなあと思わされた。
どちらも海をテーマにしている作品。前者は、荒れ狂う海に無人のボートが浮かび、真っ黒な行き先に向かって流されようとしているところ、後者は、静かな白い波がたつ海の前方に、氷山か霧か、とにかく白くなっているところ。それぞれがタイトル通りに表しているなあと思わされる。作者にとって「時」というのは救いようがなく抗えない無慈悲なものなのだろうという印象を受ける。最後に待ち構えている黒い結末(=死)、そこに至るまでも荒れ狂う道のりをいくしかなく、自分では制御することなど叶わないという諦念にも似た畏怖を、無人のボートが暗喩しているような印象を受けた。
一方後者の海は静謐…というほどでもないが穏やかな水面をたたえ、無人であり、遠くには靄なのか氷壁なのか、少しくすんだ白い色が見て取れる。原題のOstinato rigoreのOstinatoはしつこく繰り返す、rigoreはさまざまな厳しさを表す言葉であるようだ。先の絵と違いこの海には、とっかかりと呼べるようなものが何もない。それは、この絵を見る鑑賞者も、絵の中にもし居たとしてもそうだろう。茫漠ささえ幾許か感じさせるやも知れぬ沈黙した海面と前景は、逆に己自身に問いかけることを要求する。その厳しさは、現代のグローバル化・情報化社会では見失われがちなものだ。時代と反りがわず、己から進んでしつこく相対している者は、多くの場合そのひたむきさが厳しさとなって内外に影響を及ぼしているように見える。孤独さという顕れ方もよくするだろうが、それは本質ではない。この絵には主体が存在せず、あたかも風景画化のような描かれ方をしているが、そこもポイントだと思った。

『小波のうねり』
絵の具に繊維を混ぜて固まることで、立体的に表現している作品。
海辺の小波を上から見るような構図だが、面白いのはこの作品、前を歩いていると見せる顔が変わるところだ。水色に波立っている立体的な部分の、向かって左側は白く塗られているため、作品を左から見るとああ綺麗な海だなあというふうに思える。一方小波に右側部分は黒く塗られているのだが、局所局所に濃い橙、黄色、緑などさまざまな色が施されてい流ので、作品を右から見ると、波に影がある以上に不思議な躍動感のようなものが感じられる。一つひとつの繊維の立体に対して施されている細かい仕事が圧巻だった。
オペラシティの展示では、順路の右手に作品が展配置されていたため、鑑賞者は波の「裏側」から作品を目にし、注視しながら通り過ぎると徐々に静かな海面になっていく・・・というような体験になる。そうやって画家の意図かどうかは知らないがその通りに見る人が少ないだろうので(実際にそのような楽しみ方をしている人は見受けられなかった・・)、より面白いところが自然に目に入るようその配置にしているのかも知れないが、個人的には左手に展示されていた方が面白いんじゃないかなあと思っていた。

そのほかにも好みだった作品はいくつかあり、彫刻や陶の作品も楽しむことができたが、以上が最も印象に残った作品である。
とにかくエネルギーを感じる画家だったのと、最初に感想を書いた『不確かな旅』に見惚れ過ぎていたので、後半くらいから体力切れになってしまい、マリでの作品はあまりじっくりと鑑賞することができなかったのが残念。水彩画すごく綺麗な印象を受けたんだけどな・・
土を使ったライブパフォーマンスも面白かった。

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