地方大学生のぼやき#34「自分を殺して、再び生き返らせる」
自分と向き合う時間は大切なんだと思う。
自分と向き合うということは、自分の弱さを受け入れないければならない。それは同時にその弱さを受け入れた上で、他人と関わらなければならないということだ。
それは、とても精神衛生上あまり良くないことだと思う。正直しんどいし。体内で明らかに悪い何かが、血液とともに流れていく感覚を覚える。身体が途端に重くなり、ベッドから起き上がれなくなってしまう。
でも、そこで起きるんだ。何がなんでも。起きなきゃダメなんだ。
別に精神論の話をしたいわけではない。弱さに乗じて甘えるなと言いたい訳ではない。逆にそんなことを言うのはクソだと思っている。
まずは、起きるだけでいいんだ。起きて、ノートを開き、脳で闘った自分の弱さを書き出し、課題となる部分の見直しと自分なりの解決策を講じなければならない。第二ラウンドスタートだ。
そこで、涙を流しながら、血反吐吐きながら、そいつに打ち勝つんだ。それだけで君は弱さを捕まえてそこで初めて自分のものにできるんだ。
すると、朝までベッドの上では敵だと思っていた奴が、味方に代わってくれる。味方にしたなら、次はそいつのレベルを上げていかなければならない。
深く深く掘っていくんだ。時間をかけてもいい。点と点をつなぐ作業をしていくのだ。経験と知識で、補強していくんだ。
自分の弱さにそっぽを向いている奴が、他人と向き合うことなんてできない。いや、できないとは言い過ぎた。それは他人に向いているようで自分に向いているのだ。いつだって、自己中心的なのだ。自分を正当化しているのだ。自分に責任ある問題は、最後は自分が向き合わなければいけないのだ。
他人に責任があり自分が傷ついている問題は、他人に責任を押し付けていい。それで逃げたっていいんだ。優しくないかもしれないが、まず自分に優しくしないと他人に優しくはできない。罪悪感が残るだけだ。
向き合うんだ。向き合って、辛さを他人に打ち明けるんだ。それだけで心は少し軽くなるんだ。自分を仮初の防具で覆うな。素っ裸で、他人と向き合うんだ。そしたら、他人に優しさを見出すことができるんだ。
僕にはそれが時間がかかった。最後に自分を大切にできるのは、自分だけなのに自分を大切にしなかった。怖かった。ただひたすらに怖かった。自分を否定することが。その上で他人に否定されることが。自分の存在価値なんてものを見出せなくなってしまうんじゃないかと。
頭でわかってても、簡単に心を変えることはできない。根っこと幹の部分は変えたくても変えられない。なら、枝を増やしていくんだ。枝を何重にも増やして、ダメだったら折っていけばいい。その枝は簡単に折れる。でも、代わりの枝がまだまだいるんだ。それを徐々に増やしていけばいい。
もう悩んだまま同じ場所に立たされ続けるのは疲れた。僕だって校庭に出てみんなと遊びに行きたい。
悩んだら、疑問に変えるんだ。疑問を持つことで、それは興味関心に変わるんだ。そして、調査するんだ。そして一つ一つの疑問に結論を与えるんだ。
本当に疲れたんだ。痛い目も見てきたんだ。そろそろ潮時だろ?この社会には妥協が必要なんだ。それ以外は自分の好きにすればいいんだ。
また悩むかもしれない。どうしようもなくなるかもしれない。でも、大丈夫だよ。自分が気づいていないだけで、枝はまた増えているから。新しく配られたカードの能力を発動させればいいんだ。
いいんだよ。それで。
これで僕はまた人に優しくできるんだから。
「マーちゃん、俺たちもう終わっちゃったのかなぁ?」
「バカヤロー、まだ始まっちゃいねぇよ」