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自己紹介〜HSPりょーちんのこれまでとこれから〜

はじめまして、りょーちんです。


僕は現在、配達のアルバイトをしながらフリーランスとしての独立を目指して活動しています。


2022年8月、僕は人生のどん底にいました。


・27歳にして転職を4回も経験→5社目をクビになる
・消費者金融からの借金200万円
・親から毎月10万円の仕送り
・彼女に振られる

当時の状況です。


昔から抱えていた精神的なメンタル疾患の影響もあり、仕事をなかなか続けることができず27歳にして転職を4回も経験しました。

そして、5社目の会社もクビになりました。

現実逃避するための遊びや飲み代に使うお金を消費者金融から借りるようになり、生活も破綻。

そんな状況もあり彼女にも振られる。(普通に考えたら当たり前。)

文字通りどん底です。


自分に絶望し、何もする気になれず1日中寝込む生活が半年ほど続きました。
ご飯もまともに食べずひたすら寝て、夜は気晴らしで飲みにいく。
廃人のような生活です。

しかし不思議なもので病み続けると、ある日突然吹っ切れて前に進むしかないと思いました。

これ以上失うものはないと思い、自分が本当にやりたいことにチャレンジしてみようと思いました。


そこで、これまで興味はあったけど行動に移せてなかったフリーランスという働き方を本気で目指すことに決めました。

今は目標に向かって充実した毎日を過ごすことができています。


この記事では、僕の生い立ちを含め、これまでどんな経験をし、これからどんな人生を歩もうとしているのかについて書いていきます。



明るく活発だった幼少期

岡山県の山奥で公務員の両親の元に生まれ、2歳下の妹と祖父母6人の家族で育ってきました。


家族はとても仲が良く、経済的にも何不自由ない生活を送らせてもらいました。


僕は幼少期からとても活発な子どもで友達も多く、よく外で鬼ごっこや隠れんぼをして遊んでいました。


目立ちたがりの性格でふざけて友達を笑わせていました。


小学6年生の時には、地元の陸上競技会で100m走・ハードル・リレーで3冠を達成し、学校でも人気者でした。(足が速い人がモテるのは小学生あるあるですよね笑)


こんな感じで僕の幼少期はとても順風満帆でした。



人間不信になった中学時代

僕は小学3年生の時にサッカーを始め、5年生の時に岡山の作陽高校が高校サッカー選手権で準優勝したことに触発されプロサッカー選手を目指すようになりました。


そして中学校に入学すると部活には入らず、サッカーのクラブチームに入団しました。

地元から電車で1時間半かかる岡山市のチームに入っていたので、毎日学校が終わると往復3時間かけて練習に通っていました。

我ながら今考えるとすごい行動量だったと思います。笑
今やれと言われてもできません。笑

充実していたクラブ活動とは裏腹に、中学2年生の時にいじめを受けるようになりました。原因は学校で1番権力があった友達と喧嘩をしたことでした。

暴力や悪口、嫌がらせなどをされ学校に行くのが本当に辛かったです。

影響力のある相手だったため、仲が良かった友達も「あいつと仲良くしたら自分もいじめられる」と思い無視をしてくるようになりました。

いわば学校の中で「完全な孤立状態」になりました。


この頃からもともと明るく人と関わるのが好きだった性格が人と関わることを避ける性格に変わっていきました。


誰かがひそひそ話をしていたら自分の悪口を言っていると思い込んだり、みんな自分のことを嫌っていると思ったりと自意識過剰になり、誰も信用できなくなってしまいました。



うつ病と学生時代

中学校ではいい思い出がなかったため、自分のことを誰も知らない新しい環境に行きたいと思い、地元の高校ではなく実家を出て岡山市内の高校に進学しました。


高校には中学時代のいじめられた自分を知っている人がおらず、楽しい高校生活を送れると期待していました。


実際に入学して最初の3ヶ月は新たな出会いもあり刺激的で楽しかったです。


しかし、年生の夏頃から状況が変わっていきました。


対人恐怖症(適応障害)を発症してしまったのです。


人と話すときに極度に緊張して体と声が震えたり、目を見れないようになりました。
中学時代のいじめが影響していました。


その頃から学校に行けない日が増え、不登校気味になってしまいました。

スクールカウンセラーから心療内科を紹介してもらって受診すると、「双極性感情障害(躁うつ)の疑い」と診断されました。

気分の浮き沈みが激しく元気な時は人よりも活発に動ける反面、落ち込んだら2.3日寝たきりというような状況でした。
そんな自分に嫌気がさして投げやりになっていた記憶があります。


そんな中でも「とりあえず大学には行こう」と思い、受験勉強を頑張って志望の大学に合格することができました。


進学したのは関西の大学で、コミュニーケーション能力がとても高い関西人と話すことが増え、対人恐怖症が少しずつ改善されていきました。
今では人見知りもなくなり、むしろ初対面が得意になりました。
関西という環境は人を変える力があると思います。

学生時代もうつ病による気分の浮き沈みは多くありましたが、様々なことを経験し充実した時間を過ごすことができました。


そして就活の結果、メガベンチャー企業に就職することになりました。


希望に満ち溢れた社会人デビュー

成長環境でキャリアアップを目指せる会社に入社することができ、入社式では新入社員代表挨拶をするなど素晴らしい社会人デビューを飾ることができました。

既に書いたように僕は向上心が高くキャリア志向が強かったので、「これからスキルアップし市場価値を高めてビジネスマンとして成功しよう」と希望に満ち溢れていました。


挫折、理想と現実の違いに絶望

しかしそんな希望も入社3ヶ月後に打ち砕かれてしまいました。


もともと抱えていたうつ病が再燃し、仕事に行くことができなくなって退職せざるを得ない状況になったのです。


理想と現実のギャップに絶望し、自信を失ってしまいました。


その後、復職支援施設に半年間の入院を経て、社会復帰のリハビリをしようと思い地元岡山の会社に転職しました。

再スタートだと張り切っていたのも束の間、入社後3ヶ月も立たない間に退職。
原因は遅刻、無断欠勤の繰り返しによる事実上のクビでした。

せっかく大金を親に払ってもらって入院までしたのに1社目と同じことを繰り返してしまい、何も変わっていない自分に失望しました。

そして逃げるように友達の紹介で派手なバーで働くようになりました。
もちろん生活費を稼ぐためという理由もありましたがそれ以上にお酒を飲んで楽しむことができ、嫌なことを忘れられるという動機が強かったと思います。

お酒を飲むことと人と話すことが好きだった僕は、バーの仕事を2年続けることができました。
人生で一番長く続いた仕事がバーだったのです。

夜の世界は刺激的で楽しかったです。
遊びの感覚でお金を稼ぐことができました。

ただそれはその場しのぎでしかなく、仕事以外の時間は「自分はなぜこんなことをしているんだろう」と悩む毎日。
「それなりの大学を出ているのに」
「周りの友達は昼の仕事でどんどん成長している」
劣等感しかありませんでした。


そして夜は仕事でお酒を飲んで嫌なことから目を背ける。

そんな生活でした。

夜の仕事が続いていたこともあり、親から「夜の仕事で今後もやっていけばいいんじゃないか」と言われることもありました。

でも僕は夜の仕事をずっと続けたいと思いませんでした。
いや「続けるべきではない」と思っていました。

心のどこかで「夜の仕事は自分がいるべき世界ではない」と思っていたからです。

そんなモヤモヤした気持ちで惰性で過ごしていた時、幸か不幸かバーを辞めざるを得ない出来事が起きました。

お店の先輩に大火傷を負わされたのです。

アルコール消毒を体にかけられ、そこにライターで火をつけられ大炎上。
全治3ヶ月の大火傷を負いました。

体の傷跡は一生消えることはないと医者に言われました。


この事件の後、必然的に退店。

体に傷を負いましたが、「辞めるきっかけができて良かった」と思っている自分もいました。

夜の世界を見下しながらも、目の前の快楽にとらわれ辞めることができなかった自分に、半ば強制的に終止符を打つことができたからです。

そして、再び転職活動を開始。
完全実力主義の営業会社に入社することになりました。


入社理由は、年齢が関係ない実力主義の会社で結果を残すことでこれまでの職歴のハンディキャップを取り返せると思ったからです。

営業スタイルは、一軒家への訪問販売。
営業の仕事の中で最もハード方法です。

急に約束もなく家にきて営業される訳なので普通に考えたらただの迷惑行為です。

最初はモチベーション高くやっていましたがメンタルが弱い僕が続けていけるわけはなく、半年も立たず退職しました。
退職理由はまたも欠勤の繰り返しによるクビです。

それでも懲りずに5社目の広告代理店に転職。

ここでも無断欠勤が続いてクビ。


このタイミングで自分は会社を続けることができないのだと自覚しました。
これまでは「次の会社は絶対続ける」と気持ちで何とかなると思っていましたが、これだけ短期離職が続くと気持ちではどうしようもないので自分に合った働き方を探すしかないと考えるようになりました。



そこで、場所や時間に縛られる組織で働くのではなく自分のペースで働けるフリーランスを目指してみようと思うようになりました。




これまでの経験から今考えていること

僕はこれまでの経験はすべて成功への伏線であり、物語だと考えています。
いじめられたことやうつ病も「経験してよかった」と心から思っています。
辛い経験がなかったら今の自分はいなかったと思います。

失敗がなく順風満帆に成功した人よりも、様々な苦労をしてそれを乗り越えた人の方が人としての魅力があると思っています。

苦しい今の状況を乗り越えた先に明るい未来があり、僕にしか語れないことがあると信じて行動しています。



実現したい未来

僕の人生の目標は、「大切な人と過ごす時間を増やし、その人たちに笑顔を与えられるような人間になる」ことです。


この目標を実現する『手段』として、フリーランスの働き方は最適だと思っています。


フリーランスになること自体が目標ではありません。

場所や時間に囚われず自分のペースで働くことで自分もストレスなく過ごせて大切な人にも好きなタイミングで好きな時に会うことができると思っています。

人生は1度きりなので、「楽しんだ者勝ち」です。
どんな人生を歩んでも人は100%死にます。
なので「自分が楽しいと思えるか」ということが僕の絶対的な価値基準です。

大切な人たちと「楽しい(幸せな)時間」を共有し、みんなで充実した人生を歩んでいきたいと思っています。









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