I didn't know マウンティングを取る人
こんばんは。
先ほど、先日NHKで放送された三島由紀夫の番組について話をする機会がありました。
ちなみに僕は三島由紀夫については、人間的なところ(あくまで調べられる範囲の)は知っていますが、著作は一つしか読んだことがありません。(それも、小説ではなく、日常生活に関する世俗的なエッセイ集みたいなやつ)
あとは、去年か今年の初めに公開されていた東大闘争のドキュメンタリー映画と先日のNHK番組を見たくらいです。
以下、RさんとTさんとわいの3人の会話。
Rさん「前、三島由紀夫のドキュメンタリーやってたねん」
わい「ああ、みたで。どうやった」
Rさん「いやー、三島由紀夫のこと全然知らんかってん!!作家としか知ら
んかってん!!あんなんって知ってた??」
わい「俺も本一冊読んだことあるくらいで、そんな知らんけど、なんか謎が多い興味深い人よな」
Rさん「いやー、全然知らんかったわー」
Tさん「すごいコンプレックス抱えて、それを克服しようとしてたんやなー。」
わい「そうなんかなあ。」
Rさん「(Tさんに対して)いやいや、三島由紀夫があんな感じなん知ってた!?私全然知らんかった!」
Tさん「ちょっとは。。。。。」
Rさん「うっそ。私全然知らんかったわ~」
わい&Tさん「。。。。。」
といった感じの会話でした。
タイトル通り、自分知らなかったという事実をやたらとアピールしてきてマウントを取っていました。
会話なのか雑談なのかさえも疑わしくなるほど、ぺっらぺらのひっらひらの薄っい話してるなと一人虚無感を感じていました。そんで三島由紀夫の話をしているというのがなんともアイロニック。。。
知らなかったアピールでマウント取るって、どういうこと??といまだに不思議に思いますが、たまにこういうひといるし、自分はどうなん?そんなことないか?とちょっとヒヤッとします。
内容にひっかかりを得られなかった時や興味関心を抱けなかった時は、案外こういう感想の持ち方をしてしまうかもしれないなと思いました。
それでも、どんなものにも自分の見方次第で問いや気づきを得ることはできると思っています。なので、大方番組をぼーッと見るだけで内容について頭を働かさなかったがゆえに、いざその話題になると、私はその事実を知らなかったんだ~的な薄っぺらい感想しか出てこないというパターンだと思います。案の定、その後の会話は全然深まらなかった。
とはいえ、感想の第一声が「知らなかった」というのはよくあることだと思うので、Rさんもその後に内容についての気づきや問いを話してくれるのかなと思いきや、そこから僕やTさんに向けて、知ってたかどうかを確かめてきて、さらに自分は知らなかったということを誇らしげにアピールするというマウンティングの取り方をしていました。
なんか頭ごっちゃになって、
「これってマウンティングなんか?」
「相手を比べて知らないことを誇ってるから、一応マウンティングなんやろう」
「そもそも、知らないことを恥じるのではなく、誇るのってなんなんや?」
「無知の知とは?」
みたいな脳内審議が始まってしまった。
無知の知は、決して誇らしげにひけらかすものではないし、自分は知らなかったという事実をそのまま受け止めて、やはり自分は無知なんだと内省するものだと改めて思いました。
対話において、問い方が非常に大事と思うけれど、もはや問うこともできないという悲しさというか虚しさを感じた瞬間でした。
あれ、この人とは話できないぞ。。。みたいな。。。。。