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⑬音楽素人ウクレレを買う。(と献血おじさんのなにげない優しさ)

おはようございます。


昨日の出来事について。


最近は自宅界隈からどこか別の場所へ出かけていくということをほとんどしていなかったが、昨日は京都まで出かけて行った。


目的は、ウクレレを買うこと。


音楽の経験は完全にナシである。
なにかしらやってみたいなあと、心の奥底地下2万階くらいでは思っていたが、急にやりたくなった。
おそらく身体を大切に扱い、身体性らしきものを取り戻してきたことで、
「打てば響くカラダ」になってきたからではないかと思う。
日常生活でいうと、歌を歌うことや家事をすることも楽しくなってきて、身体が動くという喜びを感じている。身体が動きを欲しているのだとわかる。そして、身体性のある身体は、リズムが大好きである。リズムと言えば、マクロで考えるとサーカディアンリズムだし、ミクロで考えると呼吸や歩行である。一定の動きの中での安定さ。
ある一定のリズムで身体を雨動かしていると、心地よくなってくることが多い。
音楽もその一つで、リズムを感じ取れたり、リズムを作り出すひとつの身体性を活かした遊びだと考えられる。
その遊びを身体が欲し始めたのだ、と感じている。


と長々とウクレレを買いに行った理由を書いてみたが、結局は

ウクレレが弾きたいから

ということである。


基本的に飽き性であることから、このウクレレブームがどこまで続いていくのか見当はつかないが、昨日の初日の感じをみると、どこまでも続いていきそうな予感もしている。今朝起きて、すぐにウクレレを弾きたい気分だった(のを押し殺して今はnoteを書いている)。



昨日のことを書こう。


久々に電車に乗り出かけたので、あらゆることが新鮮で楽しかった。
まず、身体が柔軟になったおかげで、電車の揺らぎを感じて、吸収できるようになったので、電車の中で立っていること自体が気持ちよかった。

また、仕事の合間だと見受けられるサラリーマンのおじさん、部活帰りで疲れて心地よく午睡をとる女子高生、スマホを一緒に観ながら会話する親子など、いろんな人たちの日常が垣間見えて、楽しかった。

駅から駅へと、人々が入れ替わることで、乗客が新陳代謝する。そしてその新しく乗り込んできた人たちの日常をまた想像することができる。目の間にあるめちゃくちゃ当たり前の日常に、目に見えない楽しさが存在することに気付いた。

また本を読みながら、飽きたり、疲れてきたなと思って、ふと顔を上げて周りを見渡すと、20~30分前とは違う情景が広がっている。
電車内での過ごし方のひとつとして、読書と人間観察のインターバル走もありやなと思った。☆4.5くらい。



そして、京都駅について、歩いて楽器屋さんへ。
楽器屋さんに入るのもほぼ初めてで、少し緊張しながら入った。

新人の女性が優しく接客してくれて、ただただ嬉しかった。
最近は両親家族友達以外の赤の他人と話すことがほとんどなかったので、向こうは仕事とはいえ、人と人との会話の楽しさを思い出す非常に大きな機会になった。
ど素人の自分にも優しく丁寧にウクレレのことを教えて下さり、有り難かった。

3000円弱から26万円くらいのウクレレがある中で、1万円強のウクレレを選んだ。最初のウクレレとしては、予算的にこんなものだろうと思っていた。
ネットでも見てみて、5000円程度の安いものがけっこうあったのだが、へぼかったらいややし、こういう安くてよく売れてる通販の商品はだいたいへぼいっていう印象があるから、やっぱり実際に触ってみて、気の材質とか、音の感じとはを味わってみて決めようと思った。

現場主義作戦が功を奏した。
そのウクレレは聞いた瞬間に
「これ、ええな」
と思った。

木の材質、見た目、色は自分の好みだったし、最初にお姉さんが弾いて出した音色が耳にしっくりきて、
「ウクレレっぽい。波が小さい常夏の海っぽい(つまり、ハワイ)。」
と感じ、容易に想像できた。

他にも安いのから一番高いのまで触らしてもらい、音を聞かしてもらったが、結局最初のウクレレに決めた。
というか、あとはおまけで、どんな感じの音が出るんやろうと消化試合をしていただけで、最初からその心は決まっていたと思う。

やはり安いやつは、音に繊細さがないというか、薄っぺらい感じがしたし、逆に一番高いやつは、もはやなにが良いのか全くわからんくらい次元が違った。
音楽のおの字も知らんけど、いっちょまえに評価してみた。


無事、ウクレレを買うという目的を果たし、京都駅までの帰路に就いた。


途中で、献血の車が止まっていたので、献血を受けようと思った。この車は行きの時にも見かけていたのだが、誰もいる気配がなく、昼時だったので職員さんも休憩中なのかもしれないな、と思って横目にスルーしていた。でも帰りにやっぱり献血受けたいなと思って、また見に行った。

その時も周りに誰もいなかったが、車の中に二人ほど人がいたので、外からアイコンタクトビームを送りまくってたら、少ししておじさんが出てきた。

「献血お願いしたいんですけど」

今思うと、献血って、血を取る側が主体でお願いするものなのか?それとも血を取られる側が主体としておねがいするものなのか?と自分の発言を振り返ってふと考えた。

この「取る側」と「取られる側」という関係性で考えると、取る側が主体になるけど、自分としては、「取ってもらう、取っていただく」っていうスタンスやったから、主体は自分の側にあったように思う。だから、「献血をやっていただけますか?」という言い方になったような気がする。
結局、献血をするというお互いの目的を果たされれば、どっちでもいい気がするけど、でも小さなことでも自分が主体でありたいな、と思う今日この頃。やりたいからやらしていただきたいという気持ち。


でお願いすると、おじさんがなんか「ああ、うーーん」みたいに渋い顔して、車の中にいる人に相談しに行った。
もう受付時間過ぎたんかな、と想像していたが、そのあとおじさんが出てきて言うには、
「○○(道路沿いにある企業)の職員さん向けにやっているものだから、一般の人は今回は無理です。。。」
ということだった。
(「なんやねん、車ややこしいねん」)
(「血不足してるんちゃうの」)
(「別に血とるくらい、職員とか一般の人とか関係あるんか。」)
とコンマ何秒かでいろんなことが頭に浮かんだが、まあそういうものなのかと思ってたら、
「ちょっと待って」
ってパッと車の中に入って、ごそごそしだした。

変に予測してしまう癖があるから、
(「これは献血後に配る粗品のジュースかなんかを持ってくるな」)
と思っていたら、予想通り、Qooリンゴ味だった。


「ごめんな、これ」
と言って、Qooを渡されて、肩をパシッとたたかれた。


その時、なんかかっこいいし、優しいなあと思った。
人の優しさに純に触れた感じがしたし、本当に些細なしょうもない出来事やったけど、少しハッピーな気分になった。


今は少し世の中の先行きが見えず、人々も不安定な状態でふさぎ込みがちだが、やっぱり外の世界には面白い事があるんだなと、再確認できたことが嬉しかった。

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