ストーリーで考察する、optimusと資本主義

テスラの「We, Robot」のイベント発表の内容が自分のTLを賑わせていましたが、例に漏れず自分も衝撃を受けました。

これってどんなふうに理解したらいいんだっけと少し考えたので、無責任に推論してみました。

シェアリングエコノミーと金融商品化

昨今、あらゆる商品が金融商品化してきています。ほとんどの消費者向けのイノベーションは、既存の商品に金融を組み込むことによって起こっているといってもいいほどです。

そんな中で、optimusは、これまで人間しか持ち得なかった、労働力を固定資産化するプロダクトだと考えています。

もう少し詳しく説明します。

インターネットによって、人類は遠くの人々をつなげる力を得ました。
続くモバイルデバイスの普及により、大多数の人のリアルタイムの同時接続が可能になりました。
これらの条件が整ったことで、他者間でのリアルタイムのニーズマッチングが可能になり、シェアリングエコノミーのマーケットが成立しました。

シェアリングエコノミーは、資産とその活用ニーズをマッチングさせることで、資産の稼働率をあげる資産運用のイノベーションです。
この変化は、資産所有の概念を変え、あらゆる資産が金融商品としての側面をもちうるようになりました。
ex) スマホのバッテリーとか、モビリティとか、別荘とか(NOT A HOTELですね!)

この変化で、人々の所有の概念は変わりました。「モノ消費からコト消費へ」などという言葉は聞いたことがあるのではないでしょうか。

資本主義は、資本を使って資本を増やしていくゲームです。
資本(=資産)は有限ですが、シェアリングエコノミーは有限の資産の稼働率を上げることで、資産当たりの利回り効率を高めました。
結果的に、資産の金融商品としての価値が高まっていくことになりました。

遡れば、こう言った変化はシェアリングエコノミーに特有のことではなく、資本主義社会におけるテクノロジー発展の全てに対して言えることです。
産業革命により、労働者一人当たりの生産性が高まったことで、労働力の資産価値は高まりました。(少人数で、より多くの人にサービスを提供できるようになりました)

あらゆる技術発展は、資産が新たな資産を生み出す効率を高める方向に向かいます。
企業活動が人間の労働に支えられている以上、より上手く労働力を資本に変換できる企業が、より良い条件で労働力を獲得できます。
こう言った力学で、マクロトレンドとして労働力あたりの生産性(収益効率)は常に改善されていくため、労働力の資産価値は高まり、徐々に高価になっていきます。

これが、マクロで見れば世界的にインフレが進み続けている理由です。
ex) 昔の初任給は3万円だったなんて話を聞くとマジ?ってなりますよね。

本当に労働力は高価になっていっているのか?

さて、世界的にインフレが進んでいく理由について説明しましたが、果たして本当に労働力は高価になっていっているのでしょうか?

先ほど説明した通り、技術発展によって、資産による新たな資産の生産効率は上昇し続けています。

つまり、資産の利回りが改善され続けているために、資産の金融商品としての価値は上がり続けているのです。労働力という資本が値上がりしていく背景を理解すれば、賃金が値上がりする以上に、労働力によって生み出される利回りが増えていっていると理解できます。

資産には複利効果があるため、少数の資本家に資産が集約していきます。
それゆえ、我々労働者が見ている物価変動と、資本家が見ている物価変動は全く逆の方向に動いているように感じられます。
労働者にとってはモノが高くなっていっているように感じますが、資本家にとってはモノが安くなっていっているように感じるでしょう。
(ちなみに自分は当然労働者なので、日々コンビニのおにぎりが高くなっていると感じています)

これが、資本主義社会で格差が拡大していく理由の説明です。

これは仕組みの話なので、いい悪いとかそういう話ではないです。
ただ、機会ではなく結果の平等を求めるタイプのリベラル寄りの政治思想とは食い合わせが悪いですね。この動きを社会がどう評価して、どのように進んでいくのか、今年のアメリカの大統領選で注目すべきポイントの一つだと思っています。

格差が拡大した社会では何が起きるのか?

格差が拡大していくとは、資本家にとってのお金の価値と、労働者にとってのお金の価値のギャップが大きくなっていくということです。

格差が十分に拡大した世界では、資本家向けのマーケットが拡大していきます。

相対的にお金のない労働者から10万円を取るより、お金があまっていて資本拡大が止まらない資本家から1000万円取る方が、コスト効率が良いという状況が生み出されていくためです。

ちょうど今日の昼に会社のメンバーと前澤さんのルームツアーの動画を見て楽しんでいたのですが、自分には前澤さんの金銭感覚が理解できませんでした。前澤社長にとっての1億円の価値は、今の自分にとっての10万円ほどの価値もないかもしれません。

この非対称性は資本主義社会が成熟するほどに拡大していき、必然的に富裕層向けのマーケットに投下される労働力は増えていきます。

資本主義はこれまで一人当たりの労働生産性を高め、一人が多くの人にサービスを提供できるように発展しました。

今後の発展も基本は同じように考えられます。

非常に労働生産性が高い、ごく少数の資本家がその他大多数の人の生活を支えるサービスを提供します。そして、新しい流れとして、大多数の人がその対価に、少数の資本家にサービスを提供するようになっていきます。

責任の大きさを比較すれば、どちらの立場が幸福かは人によるでしょう。

労働力を有する固定資産であるoptimusは人間の労働を奪うのか?

ここまで前提を整理してきましたが、やっと本題です。optimusなどの労働力を持ったロボットは人間の持つ、労働という資本の意味合いを根本的に変えるのでしょうか?

自分は労働の種類は変われど、人間の労働は失われないと考えています。Optimusが代替する労働は、機能的価値がメインの生産活動に限られるでしょう。

理由は「人間の動物的特性は技術の発展スピードと同程度には変わらない」からです。

どれだけ科学が発展しようと、人間の動物的な特性はあまり変わっていません。科学の発展スピードは、生物の進化のライフサイクルに比べて非常に早いです。

生物としての人間は感情的な動物であり、感情は共感によって動きます。共感はコンテキストの共有によってなされるため、共感する相手には自分と同質な存在であることを期待します。

このような前提をおいても、AIによるパーソナライズされたインスタントな感動体験はするでしょう。しかしそれは驚きといった類の感情であり、すぐに飽きてしまうでしょう。(今、AIで生成された画像を見てもそこまで感動しない人は多いのではないでしょうか?)

このような世界でも、他者が作り出すセレンディピティを伴った感動体験は最大の嗜好品であり続けると考えられます。(同僚の小さな気遣いから得られる感動は、今も昔も大差がないと確信しています。徹夜明けに差し入れをくれたりとか!)

このような感動体験は、商業的にいえば、操作不可能なもの、つまり歴史・他者・自然が生み出す、エンタメや観光によって得られる感動体験と言えるでしょう。

食料生産や環境問題へ対応など、他の労働が代替されたとして、人が人のために感動体験を作るマーケットは、共感をベースにしている以上、大量の雇用を生み出すほど大きく拡大していくと考えています。

これは、技術発展によって、資本が減るわけではなく依然として拡大し続け、資本家にとっての労働力は相対的に安くなっていくからというシンプルな推論によるものです。

話の流れから、人間の動物的特性を制御する技術が現れるのでは?という懸念が浮かんだ人もいるのではないでしょうか。

資本市場は、資本による資本の拡大という原理で動いており、その拡大の源泉は人間の幸福追求の欲望です。

資本家による資本拡大も、社会を構成するその他大勢の人を前提としています。その他大勢の人がいなければ、資本は価値を失います。

このようにそもそもモチベーションも希薄だと考えられますが、現代社会は資本主義以前に、民主主義を前提にしています。この前提がある以上、倫理的反発により実現は難しいのではないでしょうか。

大学1年生の時に読んだ、H・G・ウェルズのタイム・マシンというSFを思い出します。あのSFでは、格差の拡大の結果、人間が種類として二種類に分かれ、一方が一方を捕食するディストピアな世界観が描かれていました。

小説の中では、高度な科学力を有する世界でも基本的な生産活動において、人間が主要な労働力として描かれていたと記憶しています。

しかし、生命維持に必要な生産活動の責務が人間が直接行う労働の範疇から剥がれるなら、楽観的に考えることができるかもしれません。

ベーシックインカムは導入されないのか?

社内でテスラの発表を見ている中で、「労働のコストが下がり、人間を介さずに資本拡大が可能であれば、ベーシックインカムの導入によって、そもそも労働は不要になるのでは?」という議論が出てきました。

ルネ・ジラールの模倣の欲望の理論によると、人間の幸福度合いは、相対的なものとして観測されます。

実際に、インターネットの発展により外部の情報が多く入ってきたことで、もともと幸福度が高かった国の幸福度が大きく落ちた事例もあります。

この前提に立つと、ベーシックインカムによって保証される生活は、それだけでは多くの人にとって幸福を感じにくいものであるはずです。

仮に、消費を伴わない幸福追求こそが至高という概念が一般化し、ベーシックインカムのみで生活する人が増えた場合を仮定してみるとどうでしょう?

お金には「他者の労働と交換することができる」という重要な性質があります。

先の仮定をおくと、そもそも労働を行う人が少なくなるため、ベーシックインカムの根拠である労働を行っている人が得た資金を交換する先が少なくなります。

すると、交換可能な商品や魅力的な商品が市場からなくなり、金銭そのものの価値が減り、労働の意欲は削がれます。

結果的に税収は減り、ベーシックインカムを維持できなくなるどころか、生活必需品の生産量が減り、また、必要最低限の社会保障すら維持できなくなるかもしれません。

このような推論から、ベーシックインカムは、導入されるとしても人間の労働の必要性を希薄化するほどには支給されないか、市場原理によりベーシックインカムが無意味になる程度までインフレが加速すると考えられ、資本主義の枠組みでは労働は無くすことができないことが理解できます。

結論

長々と書いてきましたが、optimusをみて思ったことを端的にまとめると以下です。

  • AIの発展は過去から続く資本主義社会の流れの中にある

  • ごく少数の資本家が、多くの労働者の生活インフラを維持する役目を担うようになっていく

  • その対価として、多くの労働者が、少数の資本家向けのマーケットで労働を行うようになっていく

AI × ロボティクスによる変化は、突然の変化ではなく、資本主義というルールのもとで徐々に進んできた変化の延長線上にあると考えられそうなことが伝わるでしょうか。

昨今、AIの急速な発展によって不安を煽るような記事がたくさん目に入ってきます。

自分はライフスタイル × ITの領域で事業を行っていることもあり、AIによる変化を楽観的に捉えています。ミクロにみると予想は難しいですが、マクロで見れば世界の流れは予想できるからです。

この記事を読んで、何かすこしでも「世界は大丈夫そうだな」と感じてくれるひとがいたら幸いです。

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