【教育コラム】「資格」は「身体機能証明書」
原書本公開シリーズもいよいよ残り1章を残すのみ。昨日も「夏休みスペシャル!」と題してオンライン授業を行っていた男が、なぜ教員免許(小学校教諭1種免許)取得を目指したのか。
改めてその一端をお話ししたいと思います。
私が卒業した大東文化大学 文学部教育学科では、同学科に属していても(当時)卒業要件に教職課程の履修が含まれているわけではありませんでした。ですからそこは、(教職課程を履修しない代わりに)図書館司書の取得を目指す人もいれば、全く資格を取らずに卒業だけを目指す人もいる世界。教員免許取得希望者にとっては、周囲に流されず目標を貫く精神力が求められる、いわば教員への試金石。もちろん離脱者も出てきますから、途中で「同志」が減るなんてことも珍しくありません。免許取得志望者にとっては、むしろ過酷な環境なのです。私も(教育を学ぶ中で)自分が将来現場に立てると思ったことは1度もありません。
ではなぜ、私は最後まで教員免許の取得を目指したのでしょうか。
根底にあった確たる想い
それは、小学校教諭一種免許という「資格」が、自身の「身体機能証明書」になり得ると思ったからです。もっと詳しく言えば、(機能障害を感じている自分は)履歴書に書けない部分まで評価の対象になると考え、「せっかく教育学科に入ったんだから『教育を学んだことの証明書』が欲しいと思いました。だから、あらかじめ母校で教育実習をすることも覚悟の上で、あえて厳しい道を選択したわけです。
(私の学生時代に主流だった「漢検」「英検」「TOEIC」等の)資格は、rir履歴書に書くとなると2級からしか書けません。書けない、という点は共通のルールですから障害者である私もそれは同じです。しかし私の場合、志望企業の採用面接で「履歴書に書けるほどではありませんが、漢検、英検ともに準2級を持っています」と伝えれば、相手はそれだけで「どうやって勉強してきたの?」と聞いてくるのではないか。この資格1つ持っていれば、その特徴的な車椅子と相まって話題=ネタに困ることはないだろう、と推測したわけです。
(※もちろん子どもたちへの愛情と教育への深い知識が必要なのは言うまでもありません)
まだ私たち「障害者」に今ほど理解のある時代ではなかったからこそ、「自身の見た目とのギャップを逆手に取る」作戦は必ず効果があるという得も言えぬ確信がありました。ほんの10年ほど前の話です(今は障害に対する認識が広まってきている分、反対にこうした戦略で面接に挑むことは難しくなっているのかもしれません)。
また、私が進学を考えていた当時、47都道府県の(幼稚園・小学校教諭)教員採用試験の中で「東京都の小学校教諭のみ、プール(=25mクロール)とピアノの実技試験がなかった」ことも、決断を後押しした理由の1つです。
とにかく、私にとって「資格」とは障害の有無に関わらず彼らと同じステージで学んできたことを示す「証明書」なのです。また、電動車椅子ユーザーの私が公的な資格を持っているというだけで、世間にとっては「この身体(機能)であっても同じステージでやれるんだ!」という驚きと、(協同を考えていただく際には)安心感にもつながると感じています。事実、私の就職活動において「小学校教諭一種免許」のインパクトは絶大な効果を発揮しました。
今のところ私の読みは間違ってはいないようですが、2020年以降もますます誰もが生きやすい社会になってくれることを願ってやみません。
いただいたサポートは全国の学校を巡る旅費や交通費、『Try chance!』として行っている参加型講演会イベント【Ryo室空間】に出演してくれたゲストさんへの謝礼として大切に使わせていただきます。