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自分の「No」が仕事を作る

 なんだか最近、公開した記事と実生活が絶妙にシンクロしている感じがするから不思議です。

 というのも、このnoteでは現在、数ヶ月単位の結構なロングスパンで連載をしている。もともと書籍化する予定で今よりももっともっと駆け出しだった3年前に100日計画で書き溜めた原稿たちを【原書本公開】と題して公開しているのだ。基本的には順序どおりに(表現は一部修正を加えながら)。

 だから、話題そのものは今の生活とリンクしていないはずなのだが、なぜか結びつくことが多い。

 例えば、今日の自分の「No」が仕事を作るにしても、仕事じゃなくても同じじゃん!って、最近つくづく思う。No(できない)と言うことで広がる可能性だって絶対にある。それがルールにしろ人の繋がりにしろ結局は関係性だし、関係性の中の自分なんだよな、と。

 それでは今日もいってみよう!(よろしくお付き合い下さい)

思い込みは覆される

 すでに「究極のイエスマン」でも書きましたが、私は仕事を始めた時から、1度「できない」と言ってしまったら、もう仕事が回って来ないのではないかとずっと思っていました。最初から諦めるのではなく、とりあえずやってみることが大事だと、信じ続けていたのです。

 ところが、職場で経験を積むにつれ、それだけではないと思うようになりました。企業は当然“業績”や“生産性”をめます。したがって、時間をかければ自力でできることでも、企業側がその業務に時間をかけることを望んでいなければ、いくら良いものを提示しても私の仕事は(ニーズとは)ミスマッチということになるのです。
 当初、この事実に気付いていなかった私は、上司から「パソコンのタイピングを(自らの指示のもと)職場内介助者の手によって行うように」と言われた際、「なぜできることまで他人に頼まなければいけないのか」と直接喰ってかかったこともありました。

 今思えば本当に浅はかだったと思いますが、当時はそもそも会社がなぜ私に職場内介助者を付けていたのかという、本質の部分を全く理解していませんでした。会社は私を戦力として捉え生産性を求めていたからこそ、そのような指示をしたのです。そこに、障害の有無は関係ありませんでした。
 その後、NPO法人のスタッフとして主導した1年間は、こうした経験が大いに活かされました。様々な特性を持った当事者スタッフと協働していく中では、とにかく「個々の得意分野をシェアする(=活かし切る)こと」だけを心掛けました。

ワークシェアをする前に行ったこと

 NOと言えず、他者に仕事を振ることが苦手な私がワークシェアを意識することができたのは、徹底的に仲間の話を聴いたからです。

 改めて周りを見渡してみると(当時の組織には)経理に強い者、パソコン操作に長けている者、会議の内容や仲間のひらめきをその場ですぐにまとめあげてしまう者など、各々が実に多様なスキルを持っていることに気付きました。あとはそこに、自分が持つリーダーシップや研修スキルを組み合わせて運営していくだけでよかったのです。 

 自分が抱え込んでいるだけでは見えないことがあるー。

 もしかすると、上司が部下を信頼し、できないことは率先して「NO」と言ってみるだけで、組織はぐっと強くなるのかもしれません。

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長野 僚
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