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差別と区別

(突然ですが)皆さんはこの2つの言葉をどのように使い分けていらっしゃるでしょうか。

 私は人を差別はしていないつもりでした。この時期に意識していたのは、これからは社会人としてどうあるべきか、すなわち学生と社会人の“区別”をしていたわけです。
 ところが、インターンシップ中のある日、ある方から「お前は他の障害者を差別している」と言われました。
 その瞬間、私はハッとしました。確かに、これまでも「誰かに負けたくない」といった思いや、「こんなこともできると他の人に見せたい」というような意識が強い人間だと自覚はしていたつもりです。しかし、差別をしているつもりはなくても、無意識にそのような言動が表れてしまっていたのだと、心底反省しました。

 差別とは、「特定の個人や集団に対して正当な理由もなく生活全般にかかわる不利益を強制する行為をさす」(中略/ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)」、区別とは「あるものと他のものとの違いを認めて、それにより両者をはっきり分けること」(中略/大辞林 第三版)とあります。
 正当な理由もなく不利益を強制する行為が差別、他のものとの違いを認めてはっきり分けることが区別です。ですから、当時の私が差別をしてしまっていたとすれば大問題です。
 一方で、障害者同士でも区別や差別があることも事実です。実際、特別支援学校時代には私のような先天性障害者と、中途障害者の間で内部分裂が起こったこともありましたし、その人にはその人の立場でしか分からない苦労が必ずあるでしょう。
 そうだとすれば、誤解や摩擦が生じても仕方ないと私は思います。大切なのは、自分とは異なる人がいることを拒絶しないこと。違いを受け入れ、お互いに知り合おうとすることではないでしょうか。
 私は入社をして以降(もちろん今も)、「障害者の気持ちが分かる」という表現を一切使っていません。人は誰かに成り代わることはできない。私が自信を持って伝えられるのは、自分の経験だけなのですから。

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 今でも、自身の(機能)障害を理由に言い訳をしたくない!自分に負けたくない!!とは強く思います。

 だって日頃から「障害=病名ではない」ことを伝えているのですから(笑)


※画像は内閣府「障害者差別解消法」無料版リーフレットより

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長野 僚
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