ふとしたことから
昨日まで、長野的暗黒期と呼ばれる辛すぎる過去について、少しずつ明らかにさせていただきました(読んでいて辛くなってしまった人もいるかもしれません・・・ゴメンね^^;)。
今日からは回復期、第3部【挫折 気付き 新しい世界】から第5章『「不安」が「自信」に変わった日』と題してお送りします。私が辿ってきた復活への道のりを一緒に見届けてくれたら嬉しいです。
響かなかったたくさんの励まし
「うつ病」を患ってから早2年。休養や服薬、認知行動療法によるカウンセリング、そして周囲の方々による励ましや慰めといった優しい言葉。
福祉関係者に囲まれていたこともあり、こうした状況下での叱咤や過度な激励は逆効果だと理解されている方も多かったのですが、当時の私にはどんな言葉もあまり響いてはきませんでした。「仕事で失った自信は仕事で取り返すしかない」と思っていましたし、実際、どんなに優しくされても回復の兆しは見えませんでした。
立ち直りのきっかけは、人としての使命感
そんな中、立ち直りのきっかけはふとしたことからでした。それは、私を復帰まで導いてくれたその人が介助中に倒れてしまったこと。このように書くと不謹慎かもしれませんが、私は一瞬にして「恩人」を頼ることができない状況に追い込まれたのです。
その人は結果的に私の上司になりました。ご承知の通り、私が病から復帰する際に最も尽力してくれた人です。具体的には、自身が(当時)所長を務める事業所への異動を進言してくれた他、私の経験を活かすことができる業務として、事業所の広報誌に私が体験を綴るコラムスペースを設けてくれたりもしました。
そうはいっても復帰当初の私に任された仕事は400字余りのコラムを書くことだけ。そんな「リハビリ出社」を半年ほど続けたことになりますが、「焦る私の気持ちにストップをかけながら自信を持たせる」ことこそ、上司の狙いだったのです。
そんな最中で飛び込んできた一大事。幸いにも軽症で、その方は1週間の休養で復帰され事なきを得ましたが、「休養期間中は絶対に連絡を取らない」と決意しました。
しかし、そうなると必然的に他の職員とコミュニケーションを取ることが求められますし、まして広報誌を発行するためには、担当していたコラム以外も執筆し、印刷・発行をする必要があります。(他の職員は広報誌の作成に関わっていなかったため)すべてを見よう見まねで行わなければなりませんでした。
当時の私に最も必要だったのは、病気という殻を破り、そこから抜け出す勇気だったのです。自分では破ることができなかった殻を破ってくれたのは、またもや上司でした。
こうして少しずつ自信を取り戻したものの、気付けば2度目の社会福祉士国家試験が1か月後に迫っていました。