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妻とわたしの隔絶した世界
先日、通院する母の病院に向かう道中、急いでいたこともあって、私と妻は最寄駅に着くとすぐに停車中の中央線に乗り込みました。
でもよくみるとそれは豊田行で、目的地の高尾までは行きません。アナウンスを聞くと向かいのホームに数分後高尾駅行が来るとのことです。
わたしは、「少し待って向かいの高尾行きに乗り込んだほうが一本で楽じゃない?」と言うと、妻も「そうかもね」ということで、その列車を急いで下りることにしました。
さっと立ち上がった妻に引き続き、電車からホームに降りようとしたそのときでした。
私の目の前で電車のトビラが閉まってしまい、私だけ電車に取り残されてしまったのです。
私は呆然と窓越しにいる妻の顔を見るばかり。ホームに残された妻も唖然とした表情でこちらを見ています。
電車がノロノロと動き出すと妻の顔も遠のいていきます。
仕方ありません。私の電車が先行していくので、次の駅で私が降りて妻の電車に乗り込めばばいい話です。
大きくため息をつくと、トビラが閉まる瞬間を思い出します。妻が電車からステップを踏んで、さっとホームに降り立った瞬間、わたしもそれに続けばよかったのです。が、
一瞬の静寂とともに、車内に立ち尽くしてしまったのです。
すぐに妻からLINEで「なにやってるの!!笑。閉まるトビラに多少ぶつかっても降りれたはずでしょ!もうやだ」ときています。
たしかにその通りです。さっと飛び降りれば降りれたはずです。
なぜ足が固まってしまったのか?それは生存本能のほかありません。わたしの獣としての本能が、妻との「束の間の決別」を選んだのでしょう。
そう思うと、あの扉越しに固まったお互いのシュールさに思わずフフフと笑ってしまいます。
今、わたしは晴れ晴れした気分です。電車内での妻の漫画話をきくこともありませんし、彼女のキョロキョロ仕草をとがめる必要もないのです。
※妻はキョロキョロしながら気になる他人がいると堂々と直視します
わたしは明るい朝日が差し込む車内で、空いた座席にどっかりと座ると、ひとりの時間を楽しみます。
大きく深呼吸して向かいの窓の外に映る、朝日に照らされた街を眺めるのです。なんて美しいのでしょうか。あの建物の中に、人間それぞれの営みがあると思うと生命の尊さを感じざるを得ません。
向こうにはきれいに映えた富士山も見えてきました。流れゆく景色を見ていてもまるであきることがないのです。
妻には、このまま終着駅の豊田駅まで、ひとりで乗って行くことを伝えると彼女も了承してくれました。わたしたただ30分間外の景色を眺めます。
なんて素敵なひとときだったのでしょうか。やはり頼りになるのは本能。子どものころからのノロくて有名なわたしの動作や判断もなんらかしら理由があるのかもしれません。
これからも生存本能に従っていきたいと思います。
参加させてもらいまーす。