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「社会の窓」を閉めるタイミング
久々に電車に乗りこむとシートは埋まっていて、人がまばらに立っている感じでした。わたしはぼんやりとつり革につかまりながら、ドア付近に立っています。
そして、やれ、リュックを前にやろうかと背負い直そうとしたとき、自分の社会の窓が開いていることに気づきました。もちろん中身までは見えませんがうっすらと開いています。
「あ、ああ、まずい」そう思って急いで閉めようとすると、ちょうど電車が次の駅に着いたタイミングで、ビジネスパーソンや学生さんたちが乗り込んできました。
わたしは一旦、ここで社会の窓を閉めるのをやめると素知らぬ顔でドアの上に映る天気予報を見ます。
はて、どのタイミングで閉めようか。と思うのですが、
けっこう人が乗ってきたため目の前にも人がいます。どの角度に向いてどの瞬間にパッと閉めればいいのか。
天気予報を見ながら手先だけの早業か。それともゴッドスピードのごとく確認しての一瞬でのジッパーあげか。
にしても、人が多い。シートに座る人たちの前でなかったことがせめてもの救いです。
それにしても難しい。意識すればするほど、いつ実行に移せばいいのかわからない。
ああ、時が止まればいいのに。せめてジョジョのだれかみたいに、3秒でも時を止める能力があれば。。
いやはや考えれば考えるほどわからなくなってしまいました。
そもそも気づいた瞬間に閉めておけばよかった。そう思います。
が、一度の躊躇がタイミングをまるで失い、社会の窓はオープンのまま。
結果、次の駅が来ても次の駅が来ても、いつまでたってもわたしの社会の窓は社交的。風通しがいいのです。
もうしまいには「それはそれでいいのではないのか。。」という気持ちにもなってきます。だって私って社会の窓を閉めるのが億劫なんですもの。
むしろ日々カチッとした格好をしているときほど、社会の窓ぐらい開いておく方が精神的なバランスがとれるのではないだろうか。。とも考えます。いやむりやり前向きに考えるのです。
そう、対面で仕事をするときほど、その「ルーズさ」をかたちとして残しておきたいとも思うのです。いや思いたいのです。
人が気合いをいれるためにネクタイをグッと閉めるように、社会の窓をほんのり開く。ほどよいすきま風を身体に取り入れるのです。納得。これで位一応ロジック的には完成!
はて、しかし、社会の窓警察みたいな人がいて露出狂とまちがえられて、通報されたらどうしましょうか。上のロジックで鉄道員さんや警察官さんを説得できるのでしょうか。
できません。
そんなことをぼんやり考えていたら、結果、20分近く社会の窓を開いたまま降りる駅に着いてしまいました。あとは歩くだけ、しばらく歩いたのちにゆったりとジッパーを上げました。
いや、、それにしてもわたしは年に3回くらい、このように社会の窓を開いていることがあります。
でも年3回くらいなら少しは開いたままにしてもいいのかもしれません。
よく言いますよね。新たな風を取り入れましょうって。窓なんだから。開けなくちゃ。
そう空気の入れ替えが必要です。
たまに開く社会の窓。わたしは自分のその「うっかりさ」くらいは許してあげたいと思います。