失われていくものについて
先日、祖母がひとりで住んでいた広島の家を処分しました。売れるかどうかがヒヤヒヤだったのでいまは安堵していますが、いざ売ってしまったとなると、「ああ、あの原爆にも耐えた家が失われてしまった。。」というさびしさが込み上げてきます。
なぜあの家が生き残ったか。それは原爆のあとすぐにおじさんがバケツで水をひたすら家一面にかけ続けたのが大きかったのではないかと聞きました。原爆爆心地から約2キロのところです。理屈はよくわかりませんが、それで燃焼せずに済んだとのこと。
父はいま何食わぬ顔をしていますが、そこで生まれて18歳まで過ごした実家だったのでさびしいはずです。
そしてわたしの八王子の実家もいまは空き家になっています。築40年。とても光が入る二階建て南向きの一軒家です。
わたしが育った家です。2階には自分の部屋があって、そこで勉強したり本を読んだり音楽を聞いたりしていました。隣は姉の部屋。その隣は両親の寝室です。
母が亡くなり父がこちらに引っ越してきたので、まさに空き家状態です。いまその家をどうするか私たちは検討をしています。このまま処分してしまうかもしれません。父は自分の実家を失い、昭和に建てた自分の一軒家も失うことになりそうです。
だれも済んでいないのでしかたありません。でもさびしいのはさびしいですよね。あの一階で昭和58年から平成にまたがる25年以上、毎日わたしたち4人は朝食を食べてましたし、それ以降も父と母が2人で過ごしていました。
光が燦々と入って、とても明るかったのを覚えています。
しかし時は移り変わるもの。いまその光景は私の脳裏にだけ存在しています。改めて時は移ろい万物は失われていくことを実感しています。
さびしい。でもこのさびしさこと生きている証なのかもしれません。しっかりと噛み締めるしかありません。
なにもない、ただ失うだけの話になってしまいました。もちろん失うだけでなく、いま手にしたものもたくさんあります。
前途有望な姪や甥もいます。そして前途有望にちがいない妻もいます。。そして前途が途絶えた私がいます。え、
人だけではありません。わたしのいま住む武蔵野周辺も八王子と同じような光があります。移ろいながら失いながら人生を味わいたいと思います。