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親コストコ派に転向してごめん

コストコに行く

姉夫婦と一緒にコストコに行ってきました。コストコといえば親コストコ派と反コストコ派に派閥が分かれといることが私の中では有名ですが、わたしはどちらかといえば反コストコ派です。

まあ理由は単純に「買いすぎて暴食になる、too much」「けっしておいしいとはいえないのでは」「昨今のナチュラル志向に反している」「大量消費の権化」と、まあね、よくある反コストコ派のメジャーな主張の通りです。

しかし姉と妻は「親コストコ派」同盟を組んでおり、なにかきっかけがあればすぐに行こうとするわけで、彼女たちの共闘により私も妥協して今回はついていきました。ちなみに義理兄は中立のようです。

こちらとしては「ふん、場に圧倒されて買ってたまるか」と思って、臨んでいきます。妻の衝動買いにも、持ち前のバリトンボイスの「待った」をかけるつもりです。

その日は休日の雨模様とあり、緊急事態宣言とあいまって、みんなどこにも行くところがなのか、コストコはけっこう混雑していました。

わたしはさっそく大きなため息をついて入り口を抜けると、姉夫婦らとは距離をとり、ひとり「やられてたまるか」と強い決意で店内を闊歩します。

もちろん電化製品からお菓子、衣服まで豊富にそろっていて、「そりゃあまあ楽しくないことはないわな」と見て回ります。

バスローブ売り場で

たまたま衣服売り場で思わず足を止めました。なんとバスローブが売っていたのです。それも2000円です。「へー、おもしろいなあ」と見ていたら、「まあ買わないけど、羽織ってやってもいいかな」という気分になったので、思わず羽織ってみます。

するとどうでしょう。目の前の鏡をみると、とても優雅な男の姿がそこにありました。いつもの紋切り型文化系中年の容貌を飛び越えて、そこにはあぶないかほりのする昭和の大物俳優がいたのです。わたしは思わず「悪くないかも」とボソッとつぶやきます。

それから2度3度に脱いだり着たりでちょっと気持ちがゆらぎ始めます。

でもあれだけ、、、コストコに反対していたのに、妻や姉にはプライドからか簡単に買うとは言うわけにはいきません。

それでも鏡をみるたびに「ちょっといいかも」が出てきます。だから姉らと合流したときに、あえて茶化した感じでバスローブを羽織ってみて「どうよ」っとやってみます。

彼女らの笑いながらの「へーいいじゃん、買えば」という軽妙なノリを引き出して買ってしまうという戦略だったのです。

が、答えはまるで意外のもので姉は「いやちょっと、それ家に帰ったら絶対にかさばっていらなくなるよ」、妻は「に、似合わない。革ジャンに次いで似合わない」とむしろシリアスに反対気味。

するとわたしは反対されればされるほど盛り上がる恋のような盲目状態。顔を真っ赤にしてバスローブを擁護します。

「2000円。風呂上がりにタオルがわりになる。真冬に羽織るのにいい。なにより似合っている。買うんだ!」と最後は、なかば泣きわめく感じでカゴに強引に入れました。

いまふりかえっても、その姿といえばとても反コストコ派に属しているとは思えず簡単にコケたようです。いとも簡単に新コストコ派に転向したのです。それくらいネイビーのバスローブにはまってしまいました。

そして今

うん、あ、そしてね、いま、バスローブを着て仕事をしているのですが、あのね、まずかさばって仕方がないですよね。これ、着ないときも、なんかドレッサーを占めてどうしようもない。

あと軽く脱いだときの置き場に困る。たたんでも部厚い。

はい。姉正解。

それと自宅の鏡でバスローブを羽織った自分を見たら、え、似合わない。あのとき(売り場)は魔法にかかっていたのかというくらいの似合わなさ。どこぞの坊やがむりやり肩パッドの入ったスーツを着せられているようで、美しいまでにバスローブに着られています。

はい、妻正解。

それでもわたしの購入はまちがってなかったと思い込みたくて、むりやり着て汗をかいているわけです。

ああ、この感じ、なんだか昔CDショップで買ったアーティストのアルバムがあまりよくなかったとき、「自分がおこずかいをはたいて買ったのだからいいはずだ。。」とむりやり聴き込んで自分を洗脳させるあの感じに似ています。

ま、まるで成長していない。。

まあいいのです。いつかバスローブが似合う人物として脚光をあびる日がくるかもしれません。その日を信じて、今日もせっせとバスローブを羽織る毎日です。

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