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愛情たっぷりのお弁当を思い出してしまった

みなさんのお弁当がおいしそうでうらやましい

私の母はとにかくお弁当づくりが苦手でした。正確にいうと、料理はそのものはおいしいのですが、見映えよくお弁当をつくるのが苦手だったのです。

だからいつも学生時代のお弁当は、少し傾けていたりすると大きく片側に寄ってしまったり、なんか色が全部茶系にくすんでいたり、なぜかノリがお米の3分の2くらいまでしか乗ってなかったり、小さいアルミがグチャグチャっとなってしまったりしていました。

今思うと笑えるくらい、まるで几帳面とはど反対のなかなかの雑っぷりでした。

お弁当は中1から高3までの6年間

なにより忘れられないできごとが、中学1年生のとき入学して半年後くらいにありました。

いつも隣の席の同級生のお弁当が、なんともおいしそうでした。黒いお弁当箱に、赤いミニトマトや黄色い玉子焼き、緑のブロッコリーなど、色鮮やかに収められていて、ハタから見ているとひとつの芸術品のようにまぶしく輝いていました。

一方で、わたしのお弁当はどうでしょうか。開けてみると、食材がお弁当箱に生気を抜かれたようにぐったりしています。隙間からはそれぞれのお汁がまざりあうような非常事態もありました。

そして決定的だったのはある日、そのおいしそうなお弁当の同級生から「おまえの弁当すげえまずそう」と直球で言われました。

どういう話でそうなったかは覚えていません。またそのことばに自分がどう返したかも覚えていません。ただ、その瞬間はそれなりにひどく傷ついた記憶があります。

とはいえ、それを受けて隠すように食べるのもすごく悔しいので、私はあえて堂々と食べていました。

毎日起きてつくってくれるだけでもありがたいと思い、母には何もいうことなく6年間食べ続けました。なにより味はいつもおいしかったのです。

今では母親にたいへん感謝しています。が、もし自分が子どもに弁当をつくるのであるならば、少しは見栄えも気にしようかなとも思っています笑。こちらのNoteではおいしそうなお弁当をつくる方が多いので参考になります。

彼がテレビに出ていた

なんでこんなことを思い出したかというと、つい最近テレビの報道番組で、その同級生を見たからです。その子は今はたいへん立派な弁護士になっていました。

思い返せば学生時代6年間でいつも上位に入っているぐらい優秀な生徒でした。テレビに映る彼はビシッとしたスーツを着こなして、温和な表情でとても誠実そうに見えました。

彼を久々に見た瞬間に、その中1のときの「なんか弁当がまずそう」というひとことをサッと思い出してしまったのです。

まあ、、正直、、少しどんよりした気持ちになり、なんとなく複雑な気分でした。30年もして同級生を見てこんな思いになるとは。。

でも、よくよく考えると、人間というのは都合のよいものです。私もこれまで、たくさんの人たちにとんでもない「ひとこと」を言ってきたはずです。無意識にせよ、忘れているだけでしょう。

そして今でも無意識についつい人を傷つけていることがあるかもしれません。誰かがどこかでわたしの「ひとこと」を思い出しては、いまだに心を曇らせていることがあるかもしれません。言う側は、ほんとうに何も覚えていないものです。

なので私は30ぐらいの頃から、人に傷つけられたり迷惑をかけられることは、すべて受け入れようと考えるようになりました。まあ、実際はなかなか受け入れることができずにモヤモヤしてしまうハンパものですが。。)

繰り返すようですが、私もきっと人一倍、人を傷つけて迷惑をかけてきたからです。人間って以外に無意識でもやってしまっているものです。

きっと弁護士の同級生は、わたしへの「ひとこと」などまるで覚えてないと思います。でも、彼も年を重ねる過程でいろいろ成長したに違いありません。そして今は社会で必要とされる弁護士になっているのですからそれでよいのです。

母の後を継ごう

お弁当ってキャラ弁が流行った頃ぐらいから、えらく見栄えを気にするようになりましたよね。

よいことですが、きっとわたしのように見栄えのあまりよろしくないお弁当を毎日大事に食べている子どもたちもいるかと思うと、少し「お弁当ルッキズム」ともいうものが進んでいるのではとも感じています。

そういえば、最近は妻からお弁当をつくってくれと頼まれることがあります。今は私が在宅、彼女は出勤だから「なんでもいいからつくってくれ」というわけです。

思えば私も母とそっくりでまるで几帳面さがないズボラです。まずは母のように見た目は置いておいても、おいしいお弁当をつくってみようかと考えています。



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