「親孝行プレイ」でみんなハッピー!心は後からついてくる
3月に夫婦で70歳となった両親へ「喜寿」のお祝いをした。緊急事態宣言後、ウイルス対策をばっちりした料亭に家族が集まって食事をしたのだ。
おいしい食事とともに花や衣服などプレゼントもした。さらに姪や甥も集まったことから、つかの間のひとときだけど、たいそう喜んでくれた。わたしも両親への感謝とともに満たされた気持ちになった。
そのときに再確認したのは、
思えば、えっへん。わたしが誰にでも優しくて親切なのは、それを「プレイ」として捉えているからではないかということだ。
今回は親孝行をする「プレイ」だったのだ。プレイなのだから、それに向かって全力に演じることができた。
母に「やっぱり若いね」「派手な服も似合うし最高だね」と言ったり、父に「この年代で英語で仕事をしてきたのはすごいよ」「ラグビーで会社に入社したなんてやるねえ」とまるで劇団員のようにセリフを言い続けた。
その結果、、、、、、両親ともにうれしそうだった。
この言動には土台がある。
それは、みうらじゅん著2007年刊行「親孝行プレイ」である。
この本は親孝行のやり方についてたいへんまじめに書いており、家族が集まったときのリビングでの座り方や、親への子ども帰りした話し方など、実家での効果的な演技などを、こと細かにマニュアル化されている。
そして帯文にはこのように書かれている(たしか帯文)
最初は偽善でもかまわない。まずは行動。”プレイ”と思えば照れずにできる。心は後からついてくる。
これは深い。じつはこれってすべてのことに通ずるのではないだろうか。
そうまずは型から入ればいい。そしてなによりもこのプレイが優れているのは、演じていると客観的になれるので恥じらいがなくなることだ。するとなんでもできてしまう。
で、妻に対してもこれはいいぞと「夫婦プレイ」をやってみることにした。
なにがいいのかなと考えたすえに、妻は元気で明るいけど、その奥深くには幼少時の体験からなのか、以外に自己肯定感が低いところがある。前から少しそう思っていた。
だから「いつも存在しているだけで最高だね!いるだけで素晴らしいよ」ってプレイとして言ってみた。
すると妻は「うん、存在するだけで素晴らしい!天才だから!」と言って、とても喜んでくれた。
けれどしばらくすると本当に彼女は「自分は存在するだけでもう素晴らしいのだ。なにもしなくてすごい」と思うようになって、
家事など家のことをまるでなにもやらなくなった。。
ほめるってやっぱり難しい。。
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