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厳格な父と「チキンフィレサンド」
1年に1回はケンタッキーの「チキンフィレサンド」を食べます。べつにすごく好きというわけでもありません。ただ疲れているときや、元気がないときに、ふと食べたくなるのです。
そして食べたその一口で、一気にとある過去の一点に引き戻されます。
それは小6の1月、中学受験で埼玉のある学校の入試を終えたあと、迎えに来た父と一緒に車中で「チキンフィレサンド」をほおばる景色です。
このとき初めてケンタッキーの「チキンフィレサンド」を食べました。
ケンタッキー独特の油の匂い、マヨネーズのこってり感、バンズのほどよい噛みごたえ、真冬の閉めきった車の中だったので、車中にその香ばしさがきっと充満していたのでしょう。そのころは、サンドを包む紙が銀紙っぽかったことも覚えています。
ケンタッキーを食べたのもこのときが初めてかもしれません。それだけに強烈な初体験として記憶に焼きついています。だから今でも「チキンフィレサンンド」をたった一口食べるだけで、その場面に一気に引き戻されるのです。
思えば父とは今でこそ関係は良好ですが
小学校を卒業するぐらいまではこの世でもっとも怖い存在でした。
とにかくスポーツ面も勉強面もダメ出しがキツくて、のんびりとした性格の自分にはしんどいことが多くありました。
とくに英語は小学校低学年から毎晩、英語のテープを聴くように促されましたし、英語教室にも通わされました。
これは父が高卒後ラグビーで会社に入社して、夜間の大学に通い、偶然海外と英語のやりとりする部署につくことで苦労していたことが関係しているようです。
子どもたちが将来、英語でだけは苦労をさせたくないという強烈な思いがあったのでしょう。
でも当時の自分はそんな親の事情を知るよしもありませんし、なにより穏やかな母に比べてせっかちな父はタイプも合わず苦手でした。
そんな親の思いつきで小6から始めた受験勉強。最後にはまあなんとか中堅校ぐらいまでは受けられるレベルまでに周りに追いつきました。
そして本番1本目が1月に行われる埼玉の遠方にある中学校の入試。そのころは入試慣れのため1月の早い時期に行われる埼玉の学校を受験するのが恒例でした。
でも入試1本目というのも緊張からか大きく記憶に残っているのでしょう。
なので、その学校の入試が終わって校門から出てたときの緊張からの解放具合といったらよほどのことだったのでしょう。
そのお昼ごはんに、父が「がんばったね」と差し出してくれたのが「チキンフィレサンド」です。
あまりにもおいしく感じました。また会社をまる1日休んで埼玉までの送迎に費やしてくれた父の思いを感じることができたのかもしれません。
だから今でも「チキンフィレサンド」を食べると、まあなんというのでしょうか。深い愛情をもらっていたというか、その記憶がよみがえるだけで、自分の中のパワーゲージが一気に上がるような感覚となります。
味と記憶が密接に結びついているというのは不思議ですね。
ああ、そうそう、このテンションで書いているとまるで父が他界したかのような流れですけど、今は70となってあの頃の影は今や昔の。。。すっかり丸くなりましたが健在です。
今度帰省したら駅前のケンタッキーをテイクアウトして父に「チキンフィレサンド」をごちそうでもしようかと思います。はたして思い出すのでしょうか。
いや、思い出なんて、それぞれが都合よく切り取るものですから、すっかり忘れているでしょう。
そんな父にわけもなく「フィレオサンド」を食べてもらうのも、こちらとしては楽しみです。
そうそう、そしてわたしは英語が苦手です。こればかりは親の思う通りにはなりませんね。って、、、、子ども側から言うなよって感じですけど笑。