失敗をどう捉える?学び?それともバツだしにする?
結果が全てです!
と熱く語る若者に会いました。
「何が何でも勝ちたい、一番になりたい!」
それが目指すべきゴールであると。
その彼から話を聴くと、
一番を目指し、日夜努力しているのが分かりました。
成果を出した出せなかったと
結果主義にどっぷり浸かり、
毎日を、〇と×で、
自分自身を評価していました。
そんな彼をストイックな人だなと感心しつつも、
どこかで心がポキッと折れないか、
もしくは、心が擦り切れてしまわないかと心配になりました。
最後まで話を聴いていて、それ以上の心配が…
それは、テイカー(奪う人)になってしまうのではないかと。
「一番になる!」
という心意気で取り組むことはいいことです。
しかしです…
仮に、一番になったとしたら、
そこに至る過程に、
何があったからそうなったのか?
たとえば、自分ひとりでそれを成し遂げたものなのか?
少なくとも、相手(お客様)がいたらから
それが達成できたのですから、
そこに意識が向いているか…
ここが大事になります。
たぶん、意識は向いているに違いありません、
だって、お客様のおかげですから、
でも、そのお客様に対する意識の中身は、
どうだったのでしょうね。
お客様のためにと言いながら、
自分のためにが優先されていなかったか?
そして、もう一つ大事なことが…
成功か失敗か 〇か×か
この二元論、しかも成功・〇しか認めないとすれば、
失敗からの学び少ないはずです。
反省はするかもしれませんが、
もっとがんばれ!
とか、
ダメだぞオレ!
と奮い立たせるだけで、
出来事(失敗)を、振返り、
次に活かすことをせずに突き進む…
若いうちはエネルギッシュさが売りになりますが、
部下を持った時などにきっと壁に当たると思います。
それはそれでいいのかもしれませんが、転ばぬ先の杖です。
老婆心ながら、彼に伝えましたが、
果たして彼の心に響いたのでしょうか。