戦争と祝祭

戦争は、各々のら正義によって成り立ち、正義と正義がぶつかり合うことであると思っている。
また戦争は殺戮、強奪など、とてもネガティブである。そして戦争を続けるには祭りが必要である。とくに、剣や槍などで争った時代においては祭りは非常に重要な意味合いを持っていたと思われる。
剣や槍などの近接武器で人を殺めるということは、殺めるという身体感覚の入力を直に受けることである。故に銃などの遠隔武器よりネガティヴになりやすい。だから、昔の戦争には正義があり大義があった。

だか今の戦争はどうだろう?

遠隔武器で人を殺め、大量殺戮を繰り返す。
だから、裏で操作している実行者は、何も感じない。何も感じないから繰り返すし、そこに正義や大義があるのではなく、私利私欲のみが存在する。
これは何も戦争に限らず、あらゆるものが遠隔化されデジタル化される。
その先にあるのは、私利私欲と虚無。

この流れはもう止められない。

忘れてはならない。デジタルと身体性のバランスを。

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